1本目
このコロナ禍にて人それぞれの価値観の違いというものが浮き彫りになっていますよね。「みんな違って、みんな良い」と言える程度の価値観の違いであることもあれば、共存が難しいこともあります。
私は「コロナ禍で球を撞く頻度が落ちた」「相撞きをしなくなった」「試合に全く出なくなった」などと日々言い訳をしておりますが、理由を言わずとも頷いてくれる人と、「なんで行かなくなったの?」と聞き返してくる人とがいます。価値観の違いを感じる瞬間です。
数ヶ月前に、こんなアンケートを取りました。
「減った」が約半数。私はここに属します。
人柄が悪いわけではない人から「なぜ減ったの?」と純粋な質問を受けると「本音を答えると、場合によっては相手の行動を否定することになっちゃうからなぁ」と思って言い出せません。そういう時には「在宅勤務が増えて、球撞きのためだけにわざわざ外に出るのが億劫」という理由を挙げる事が多いです。これならば自分を落とすだけで済むので楽。
実際、それは噓ではありません。「仕事で球屋の近くに行ったついでに練習をする」ということがコロナ前には結構多かった。「ついで」で行っていた店にわざわざ行かなきゃいけなくなったので億劫という理由はあるにはある。
ただ「0ではない」という程度です。私はあまり出不精な方ではないので、そこまで外出を億劫に感じることはない。
球撞き頻度が下がった最大の理由は「感染リスクを減らすため」です。
これを口にすると色んな反論を受けます。具体的な話をすると収拾がつかなくなるので割愛。
自分の行動指針ですから、皆様がどう考えるかはどうでも良いです。マジでどうでもいいです。他人の意見はどうでもいい。自分がどう考えるかです。私の意見を皆様に押し付ける気もございません。
私はビリヤードに感染のリスクを感じています。だから頻度を落とし、行くにしても混み合う曜日や時間帯は避ける。人が集まるイベントや試合には参加しない。
他の趣味に対しても同じです。活動はしているけれど自分なりの境界線を設けていて、場所や時間などは選んでいる。行列するラーメン店なんかにも行けてないです(;´∀`)
古くからの読者様の中には覚えてらっしゃる方もいるかもしれませんが、インフルエンザの時期に警戒心の高さを見せるネタを書いたことがありましたよね?
私はインフルエンザシーズンは今のコロナ禍のようにマスクをしていましたし、体調管理に気をつけまくっていましたし、危機意識が低すぎる人に目くじらを立てることも。
(そういや、インフルエンザネタを書いた時にやり玉にあげた危機意識が低すぎな人は、このコロナ禍でもガバガバだな、、、一貫してるわ。。。)
私の場合「感染してしまうリスクを気にして」というより「感染してしまった時のリスクを気にして」ます。
そりゃ感染はしたくないですけど、私1人が感染するだけならそこまで警戒はしないです。私一人がしばらく活動休止しても社会はいくらでも回ってゆく。「死んでしまうかもしれない!」というほどの危機感は覚えていないですし。
ただ、日々の仕事で顔を合わせる人の数が、恐らく一般的サラリーマンの数十倍います。私を感染源としてクラスターを発生させてしまったら、ということに対する警戒心がかなり高いです。お金の面でも言い表せないくらいの損失になる可能性があるので、、、(私の価値じゃなくて、感染させてしまうかもしれない人達の価値です)
感染してしまっても、しばらく隔離されればそれでOK、という立場じゃない。
また、高齢者に会う機会が多いというのもあります。両親を始め、感染させてしまってはマズい人達に会うことが多いので、そういう意味でも自分が感染するわけにはいかん。
毎日がテレワークの独り身だというなら、たぶん全然気にせず球撞きに行ってるんですけどね。私が今置かれている環境では、警戒心を高めざるを得ないです。
私でもだいぶ緩いほうだと思ってますよ。ビリヤードプレイヤーの中にも、コロナ禍で一切全く球撞きに行ってないって方もいらっしゃいますでしょ?
ま、というわけで、答えづらいので「なぜ撞きに行かないの?」とあまり聞かないでほしいですし、「ただの言い訳でしょw」なんてのはなおのこと言われたくです。
というお話でした。
「誰だって自分と同じような環境で同じような生活をしている」という思い込みは捨てていただきたい。
2本目
コロナ禍で球撞き頻度が下がっていることを「ただの言い訳」とは言われたくないですが、調子がここまで落ちていることに関しては言い訳できないなぁとここんところ感じております。
頻度は落ち、行ける場所や時間も限られるようになった。かつてのような接し方は出来ないまでも、今は今で出来ることはある。けどベストを尽くしていない。そう感じております。
頻度は増やせないし、行ける場所や時間の制限も外すことはできない。ただ、その私なりに設けた条件の中でもっと相撞きをすることは出来る。なのに相撞きを避けまくっていました。
だいぶ時間が経ったので書いても良いだろうと油断して書いてしまいます。私が相撞きを避けるようになった最初のキッカケについて。
一昨年、最初の緊急事態宣言が発令されまして、東京は1ヶ月半ほど厳戒下に置かれました。その間、私は1度も球を撞きませんでした。
宣言が明けた頃、ハウストーナメントに誘われました。その頃には既に(というか今より)警戒心が高かったのであまり出る気はなかったのですが、強く誘われたので参加することに。なんせ久しぶりの球撞きですので入りません。BクラスのYさん(仮称)に「ほとんど自分が撞いているのだけれど、ハイボールを渡してしまう」というありがちな展開で負けてしまいました。
勝った負けたはあまり気にしませんでしたが、なんせコロナ前が絶好調だっただけに自分の球の内容の酷さにショックを受けました。
そんな折に追い打ちをかけるように、別のBクラス氏から「Yさん上手いですよね!!」「Aクラスにも負けない!」「プロともいい勝負をしてしまう!」などという言葉を投げかけられまくりました。そのBクラス氏は試合後にSNS上でも同様の投稿を多数。悪気はないんでしょうけど、凄く不快だった。
(Yさん本人は何も悪くないです。というかYさんもそのBクラス氏のヨイショに戸惑っている様子でした)
見返すにはYさんとまた対戦をして私が勝つしかないのでしょうけども、そのビジョンが見えませんでした。コロナ禍初期、先行きを見通せていた人なんておりませんでしょう?
「以降も練習時間は取れなさそう」としか思えなかったので、「次には今日のような球は撞かないぞ!」「リベンジ!」と思うことが出来ない。次も同じか、それ以下になる可能性がある。もう1度対戦しても勝てる見込みがない。同じような負け方をしたら、ますますBクラス氏を図に乗らせてしまう。
見当違いな言葉を投げかけられるのが不快。見返すことが出来ない自分の不甲斐なさも不快。何も悪くないYさんのことを「そんなに高評価されるほど上手くないだろ」と思ってしまったのも申し訳ない。
「この事態が続いたら、ますます不快な思いをするだけ」「なんの罪もない人を憎んでしまうかもしれない」と思ったのが、私が相撞きを避けまくるようになった最初の原因です。
そうしてその後、数少ない練習機会にも「どうせ相撞きしないしー」とブレイク練習しまくって余計にプレイの調子がおかしくなり、昨年末頃に痛い思いをして反省をしてプレイの練習もするようにしたわけですが、「また積極的に相撞きをしよう」とまでは思えませんでした。上記したハウスでの出来事がトラウマ状態になっていたから(メンタル弱、、、)
「どうせ良い球は撞けない」「相撞きしても恥をかき不快な思いをするだけ」という思いが強かった。
ひょんなことをキッカケに、ここ最近何名かのお初の方と相撞きしていただいて、相撞きの重要性を再認識。「相撞きしてもいい球は撞けないが、相撞きしないといい球が撞けるようにもならない」と。
相手を選べば不快な思いをすることもないだろうし、相撞きの機会を増やそうっと!!
ってことで、皆様、このメンタル弱者のためにお願いしますよ!!w