鈴木さんちの球日記

撞球愚痴日記。2006年から書き続けているので、昔と今とでは持論が変わっていることが多いです。1プレイヤーの成長記として、生暖かい目で見守ってください。

大きくくくらない

 

1本目

 

Twitterを見ておりますと、「日本だとこうだけど」とか「ビリヤード業界ってこうだけど」とか書かれている内容に全く共感出来ないことがしばしばあります。「私も日本にいますけど、全然そうじゃない」「私もビリヤードやってるけど、全然そんなことはない」としか思えないことがある。

 

その発言をしている人が東京の人なのであれば「この人はいつも同じ店でしか撞いていなくて、単にそのお店がそうだってだけなんじゃないの?」と思いますし、他県の人だったら「あなたの県がそうだってだけじゃないの?」という風にとらえます。

 

私もそういうやらかしはたくさん過去にしてきて、そこからの反省はといえば「括りを大きくしない」です。

 

「日本では」とか「ビリヤード業界では」とかでっかく括らない。「うちの県では」とか「うちの店では」とか「私の周りでは」くらいにしておけば、あまり話はコジれないでしょう。

 

ところが、どれだけ小さく括っても、絡んでくる人は絡んでくるんですよねぇ。その話はいつかまた毒舌ネタとして、、、、



2本目

 

相手を傷つけまいとして遠回しな柔らかい表現をすることはあるわけでして、それを美徳だとする人も多いですよね。

 

もしそれが本当に相手のことを思っての行動であり、かつ本当に相手のためになっているのであればそれは美徳だと思います。

 

その一方で、単なる保身のためだとか、遠回し過ぎて何も相手に伝わっていないだとか、そういう婉曲的な表現は美徳でもなんでもないと思うわけであります。



身近に強烈な人がいるもんだから日々頭を抱えさせられておりますが、その人なんかは表現が遠回し過ぎて何を言っているのか分からない。それを指摘されると「相手のためを思ってのことだ!」と怒る。

 

しかし、実際には遠回しな言い方をする本音が「発言の責任を取りたくないから」でしかない。どうとでも取れるような言い方をし、いざ責任を追求されそうになったら「そんなことは言っていない」と切り抜けようとする。

 

反面、いい結果をもたらした場合は「ほら!言ったとおりだろう!!」などとドヤる。

 

程度の差こそあれ、こういう人は皆様の周りにもいるんじゃないですか?(^_^;)



こういう人達を日々見かけていると「遠回しな表現は美徳である」とは思えなくなってくるんだよなぁ。。。



3本目

 

コロナ前、特定の曜日によく足を運んでいる店がありました。毎週その曜日に店の近所に用事があり、そのついでに球屋に寄っていたわけであります。

 

コロナの影響でその用事というのがなくなってしまって球屋にも行かなくなっていたのですが、最近また用事が復活したので球屋にも行くように。

 

「最近またよく会いますね」「また○曜日なんですね!(笑)」と声をかけていただきました。嬉しいじゃないですか。2年経っても毎週同じ曜日に来ていたことを覚えていてもらえている。嬉しいしありがたい。



一方で「なんでいつも○曜日にくるのw」「××ちゃんが目当てなんでしょw」とか言ってきた人がいました。なにやら、その曜日に店番に入っている女性アルバイト目当てで同じ曜日に来ていると思っているらしい。「いや、××さんがこの曜日のシフトになったのつい最近やんけ、、、」「目当てで来てんのはあんたでしょ」としか言いようが。。。

 

ほんとこういうしょーもない勘繰りをしてくる人がいて嫌なもんです。



こういうドソッポな勘繰りって誰もがしちゃうことはあるだろうし、そしてされてもいると思います。

 

そんな勘繰りを一々口に出されちゃうってのが私の人生の辛いところであります。ドソッポな勘繰りをされても胸の内にしまっておいてくれればこっちにとっては無いも同じなわけですからね。言われるから気になる。そして誰かから言われることがあるから「あの人達も言ってこないだけで何か勘ぐってるんじゃないか?」と疑心暗鬼になってしまう。

 

言われない人達が羨ましい。



その一方で「言われたほうが良いのかもしれない」と思うこともあります。口に出されたことで「この人は面倒くさい人だ」と判断して距離を取れることもあるわけですからね。

 

口に出さず、裏であーだこーだ言っているような人よりは、直接口に出してくれる人の方が距離感を保ちやすいとも言えるかもしれません。



どっちがいいですかね?

 

どっちも嫌だなぁ(^.^;