1本目
「上手い」と「強い」の差についてはよく話題に上がりますし、私もネタにしています。
その中で度々言っているのが「『上手いけど勝てないプレイヤー』なんてのはいない」ということ。
「勝てないのであれば、それは『上手い』とは言わない」というのが私の考え方です。
先日TwitterのTLに「強い人は必ずしも上手いわけではないが、上手い人は一様に強い」というツイートが流れてきて共感しました。そうそう。そういうイメージです。
「上手いけど勝てないプレイヤー」と言われるような人のイメージはつくんですよ。ただそういう人ってのは「上手そうな雰囲気はある」だけで「上手い」わけではない。本当に上手いのであれば勝てます。
単なる言葉の認識の違いであるような気がしますが、「上手いけど勝てない」「勝てないけど上手い」みたいな評価は本当に違和感を覚えて気になるのだ、、、
2本目
「センスがないと言ってほしい人」と「センスが無いとは言ってほしくない人」がいますよね。
前者は「そうなんです。自分にはセンスが無いんです(だから下手でも仕方がない。努力を怠っているわけではないよ)」と言いたいタイプ。
後者は「自分には才能はあるのだ」「今は下手でも将来性はある」「今下手なのは練習時間が少ないから。ちゃんと練習したら上手くなれる」と言いたいタイプ。
「努力こそが素晴らしい」と考える人と「持って生まれた才能に溢れた人間こそが優れている」と考える人がいるわけですが、それに通じる話だと思います。
今回のネタを書き始めたキッカケはビリヤードと全く関係がないんですけど、「病気が見つかったら怖いから病院へ行かない」と言い出す人について話をしていたことでした。
もちろん、そういうタイプの人全てがこうというわけではなく、あくまでも特定の人の話ですけども、どうやらその人は「病気になるような体=人として劣っている」と考えているらしい。
優れた血が流れているのであれば病気になんてならない。病気になるのは劣っている血筋。自分は優れた血筋なのである。もし病院へ行って病気が見つかったら、自分は劣等だということになってしまう。そんなことになるのは嫌だ。怖い。だから病院へは行かない!!
っていう考えなんですって。
やばくないですか?w
「自分は選ばれし人間である!」と考えたがる人は少なくないですけど、その思考の極地だなぁと思っておりました。
ビリヤードに話を戻します。「センスがないとは言ってほしくない人」の極端な例についてです。
ビリヤードをやる上で不利なことの1つや2つは誰にでもあって、それを自覚した上でどう補っていくか、ハンディキャップとどう上手く付き合っていくかってのが大事になると思うんですけど、「自分には欠点なんてない!!」と言い張る人達っていません?私の周りだけ??
「先天的な能力の高い人間こそ優れた人間である。自分は優れているのだからハンディキャップなんぞない!」と考えているかのような人、マジでいるんですよね、、、
よー分からんです。