1本目
今日も今日とて、ただのボヤキです。
「褒める」と「叱る」の話を今までに幾度となく書いております。
これなんかも「程度問題」「『過ぎる』のは駄目」という話でして、褒めすぎる(褒めてばかり)のも駄目だし、叱りすぎるのも駄目。叱るべき時には叱るべきだし、褒めるべき時には褒めるべきで、まさにアメとムチというやつだと私は考えております。
私の日々の生活の中では「叱りすぎ(というか怒りすぎ)」な人の方をよく見かけます。一方でビリヤード界隈に限っては「褒めすぎ」または「褒めを求めすぎ」な人の方をよく見かけます。
なので一応はビリヤードのブログであるこのブログでは、「日頃ビリヤード界隈では褒めすぎ、褒めを求めすぎな人を多く見かける」という前提で「褒め過ぎでは人は伸びない。叱ることも大事。アメとムチだ」という話をよく書いているわけでございます。
そうしますと「とにかく叱れと言うのか!」「叱ってばかりで育つわけがない!!」という反応ばっかりが返ってきて疲れてしまうというボヤきもしょっちゅう書いてます(;´∀`)
人それぞれ、頭に浮かべる具体的なシチュエーションや人物が違うから話が噛み合わないんでしょうね(皆様、頭に浮かべているのが職場だったりしません?ビリヤード場だと褒めすぎ案件の方が多い気がするんですけどね。私の周りだけかな)
さて。先日ネットでニュースをさらっておりましたところ、アメとムチについての記事を見かけました。心理療法士が書いた記事らしい。
気になる話題だし、ブログネタに出来るかもしれないw
そう思って読み進めたのですが、がっかりしました。
結構長い記事(当ブログの2日分くらい)だったんですが、「『とにかく叱るべきだ!』と考える叱りすぎな人と、『とにかく褒めるべきだ!』と考える褒め過ぎな人がいる」というだけのことしか書かれていなかったんですよ。
鈴木さんちの球日記じゃないんだからさ!!!
あっさり要約出来てしまうような中身のない話を長々と書くんじゃないよ!!(ブーメラン、、、、)
言い訳させてもらいますけど、こっちは何のお金ももらっていない素人のブログ、向こうは記事を書くことで金もらってるんだろうし「心理療法士」をうたってるんですよ。それでいてこのブログ程度の質ってどういうこっちゃ。
書くことを仕事にしているという意味ではプロでも、腕前は全くプロではないライターなんぞゴロゴロいますのでネットの記事になんぞ大した期待はしていないですけど、今回は一応は資格を持った人が書いていたわけでして。「それでいてこれかい」というがっかり感がすごかった。
言いたいことはそれだけですw
2本目
かつてのように「自分は運がない!」と嘆いて言い訳をすることはなくなりましたが、それでも運がある方だとは思えません。
「運でカバーできないから、自分の至らなさに早期に気付けるのだ。ラッキー!」とポジティブに考えたり、「運の足りなさを技術で補うのだ!」と反骨精神を燃やしたりするわけですが、運要素の比重が大きいことに関しては良いイメージがありません。「運ゲーになったら負ける」という意識があります。
当時ブログネタにしたような気もするビリヤードと関係のない話ですが、友人たちと食事に行くにあたって予約困難店に予約を入れるというミッションがありました。「◯年先まで予約が埋まっている」というタイプの予約困難ではなく、「電話が繋がらない」という困難さです。
実際、私は何度も何度もかけても繋がらず。日を改めてかけてみても繋がらない。ところが、I氏にかけてもらったら一発で繋がるという。そんなことが確か複数回あった。それを私は「I氏の運が凄い」という話として言い伝えてきました。
つい先日。今度はきっけー氏との用事で「全く電話が繋がらない」という事態に。「I氏だったら一発でかかるかもしれない」なんて言いながらキッケー氏にかけてもらったら一発で繫がりやがんの。。。。
「I氏の運が良いという話ではなく、私の運がないという話である」と結論づけられてしまいました。きっけー氏によって。。
知ってた。知ってましたよ。運ゲーには勝てない。
これは運ゲーとか言っていちゃ駄目な例ですけど、車の運転なんかも運任せにしている人、いるじゃないですか。
前方不注意、狭い路地での大幅な速度超過、徐行や一時停止の無視など。人が飛び出してきたら一巻の終わりというシチュエーションでまで意に介さず飛ばしまくる。
私には絶対に出来ません。法律違反だというのももちろんなんですが、法律どうこう以前に「私がそれをやったら絶対に人を轢く」としか思えない。人が飛び出してくるビジョンしか見えません。
飛ばしまくる人ってのは、過去の人生のどこにも「自分には運がない」と思うような出来事がなかったんでしょうね。なんとかなっちゃってきたから「なんとかなる」と思っているんでしょう。
だいぶ前からですけど、コロナ感染が運ゲーになってきていると感じています。
全く意に介さず遊び歩いているのに全く感染しない人がいる。一方で、ほぼ自宅に引きこもり、たった1回やむを得ぬ事情で外に出ただけで感染してしまう人がいる。
運ゲーじゃん。
私は全く出歩いていないわけではないですが、私なりの境界線がある。人混みは避けまくっているし、外食するにしても「この店は密が避けられなそう」と自分なりに感じる店は避けるし。
ビリヤードも全く行っていないわけではない。けどかつてのようには行けない。そこにはやはり「運ゲーには勝てない」という思いがあります。頻度を落としたり、混み合う時間を避けたり、普段どういう生活をしているか分からない人との相撞きは避けたり、密にならないような店を選んだりと制限が多い。
意に介さず球撞きに行けている人は「運がない」と思うようなことが過去になかったんだろうなと羨ましく思っています(;´∀`)