鈴木さんちの球日記

撞球愚痴日記。2006年から書き続けているので、昔と今とでは持論が変わっていることが多いです。1プレイヤーの成長記として、生暖かい目で見守ってください。

波長の合う人

 

1本目

 

「そっちから誘っておきながら、それ?」って思うようなこと、ありませんか?

 

私にはメチャクチャあります。

 

「これに興味があるから、調べておいて!」と頼まれたから調べて情報を提供をしたのに、「はいはい。興味ない」「いつまでその話してるの?」と返されたり。お前が調べろって言ったんだろが!

 

「飲み会したい!」と人を募っていたくせに、直前に「自分は参加できませーん」と言い出すような言い出しっぺとかいるし。

 

「ハウスに出よう!」と言われたからスケジュールを空けておいたのに、当日になって「モチベーション上がらないから行かない」と言い出すヤツとかいるし、、、

 

「相撞きしましょう!」と言われたから相手のホームまで行ったのに、こちらの球を見ずに隣の台で練習を始めたり(←これはしょっちゅう書いている愚痴ですねw)

 

例をあげたらキリがないです。いくらでも出てくる。

 

大なり小なり、皆様も同じような経験はしているんじゃないでしょうか。

 

相撞き関連の愚痴は結構よく耳にします。最近も「『相撞きしましょう』と言われたから相撞きを始めたのに、途中で『やる気が出ないんでやめましょう』と打ち切られたんだけど、なんなの?」って愚痴っている人がいましたw 分かる分かる。そういう人いるんだわ、ほんとに。



私にも気分が変わってしまうことは多々あります。自分が言い出しっぺなのに、都合が悪くなってしまうこともあります。けど責任感というものがある。なので気分が変わってしまっていてもやり通すし、どうしても都合が悪くなったのならば誠心誠意謝る。

 

自分で言い出しておきながら、気分が変わったから都合が悪くなったからと、悪びれもせずにあっさりキャンセルするような人というのは、とにもかくにも責任感というものが圧倒的に足りない。



「『相撞きしましょう』と言われたから相撞きを始めたのに、途中で『やる気が出ないんでやめましょう』と打ち切られたんだけど、なんなの?」なんていう愚痴を聞いた時、「いるいる!そういう人!」と共感をする人もいれば、「それくらいいいじゃん」「その程度のこと、誰にでもあるでしょ?」と思う人もいるのかもしれません。

 

もしその行いがその時限りの1回だけであり、かつ他には欠点がないような人であれば「その程度のこと」で済ませられると思います。

 

けど実際には、そういう人ってのは1回限りってことはない。同じことを何回もやる。かつ、欠点が「自分で誘っておきながら、相撞きを途中で打ち切る」というだけではなく「責任感の無さ」という広範囲に及ぶこと。

 

他の何をやらせても同じような事をやらかすことが容易に想像できてしまう。1つの逸話から、その人の駄目な部分が物凄く膨大に想像できてしまうから「そういう人は駄目」という結論に至るのであります。

 

これを具体例の1つとして2本目へ。



2本目

 

自虐具体例を1つw

 

「タップの側面が膨らんだまんまメンテナンスしない人ってどうかと思う」と言っている人がいたとしましょう。

 

口にしているのは「タップ側面の膨らみを放置」という欠点だけだけれども、発言主の頭には「タップ側面の膨らみを放置する人って、タップメンテナンス全般怠りがちだし、タップだけじゃなくて道具のメンテナンスが押し並べて適当。そして道具のメンテナンスが雑な人って、球撞きも大雑把だし、そもそも性格が大雑把。そういう人と自分は性格が合わない」くらいのことが浮かんでいるのかもしれません。

 

1本目の話と同じ趣旨です。それの自虐バージョン(笑)

 

欠点が「側面の膨らみを放置する」という1点だけなら「そんくらいいじゃん」と思うけど、上記した欠点全てを列挙されたら「たしかにそれはNGだわ」と考えが変わる人、少なくないと思います。



昨日のチッチマンの話もそう。舌打ちが1回なら大して気にもしないけれど、繰り返されるのは嫌だし。「舌打ちしがちな人は、他にもこういう欠点がある」と連想で色々浮かぶからイメージが悪い。



そういうこと、物凄く多いと思うんですよ。

 

「Aという欠点を持ってる人はどうかと思う」としか口には出していないけど、「Aという欠点を持っている人は、Bという欠点もCという欠点もDもEもFも持っていることが多いから、自分とは合わなすぎる」がフルセンテンス。

 

「Aという欠点を持ってる人はどうかと思う」と聞いただけだと共感出来ない人も、フルセンテンスを言われたら共感出来る。そういう事は多いはず。

 

発言主と同じような経験をしてきた人ってのは、Aと聞いただけでA〜Fまで浮かんでくるわけですよ。異なった人生を歩んできた人はAと聞いたらAしか頭に浮かばない。

 

より多くの人の共感を得たいのであればA〜Fまでしっかり言及すべきなんでしょうけども、Aと言っただけでA〜Fまで浮かべるような人こそがほんとうの意味で「自分と同じような経験をしてきた、波長が合う人」と言えるのかもしれません。