鈴木さんちの球日記

撞球愚痴日記。2006年から書き続けているので、昔と今とでは持論が変わっていることが多いです。1プレイヤーの成長記として、生暖かい目で見守ってください。

昔話

 

1本目

 

ここ1年、外での飲み会はほぼ0になりましたので酒量が減るかと思いきや、私の周りではかなりの高頻度でオンライン飲みが行われているうえ、私個人も家にいる時間が長くなってついつい晩酌をしてしまうことが増え、ほぼ毎日酒を飲み続けておりました。

 

んで、原因は酒だけじゃないですけどメチャクチャ太りまして、さすがにヤバイと思ってダイエットに取り組んでいる今日この頃。その一環として節酒しております。週1くらいしか飲んでない。

 

オンライン飲み会は相変わらず行われているのですが、ウィスキーボトルにプーアル茶を入れてごまかしたりしてます。美味しいですよ。プーアル茶のロックw

 

 

とまぁ、そんな感じに私はいざ本腰を入れたら案外簡単に節酒出来ました。まさに「気持ち次第」というやつです。

 

一方、問題は父であります。

 

父は手術を控えておりまして酒を控えなくてはいけないのに、全く控えないのだと母からSOS。私も私なりに酒の控え方を調べてみたりしたんですけど、「いや、これは本人が読まなきゃいけないやつだわ」と途中で気づきました。

 

「酒の控え方」であって「酒の控えさせ方」ではなかった。本人が読まなきゃいけないやつで、私が読んでも意味はない。私はそんなものを読まずとも控えられている。そして父は自分では読むはずもない。控える気がないから。

 

「控えたいけど、自制がきかない」という人が読むものであって、「控える気がない」人は読まないし、読んでも右から左でしょう

 

で、改めて「控えさせ方」を調べてみても、結局は「諦めろ」とか「医者に連れてけ」とか、そういう話しか出てこない(;^ω^)

 

 

この話から何を言いたいかって、ブログで散々にボヤいております通り、ビリヤードにおいて明らかな欠点がある下級者に指摘をしてみても、本人たちはどこ吹く風なわけですよ。他人が言っても無駄。本人たちが変わらなくてはいけない。本人たちが欠点を欠点だと自覚し「直さなくては!」という気持ちにならなくては何も変わらないわけであります。

 

「直したいけど直せない」と「直す気がない」「大きな欠点だと思っていない」はやはり全くの別物で、後者タイプに指摘をしても、どうしようもないのかもしれません。

 

周りの人間としては「諦める」か、ほんと、程度が酷い場合は精神科にでも連れてった方が良いんじゃないかっていう人はいますね。。。

 

 

2本目

 

往年の名バッターの訃報に対し、現役の一流選手が「(申し訳ないけれど)見たことが無いです、、、」とコメントしてて「そりゃそうだよなぁ」と思っておりました。

 

これは野球の話でしたが、どのジャンルでも遥か昔のプレイヤーの話を出してきて「過去の名選手のことを研究するのは当たり前!!」「『知らない』ってんじゃ、一流になれないぞ!!」とか言い出す人がいるわけであります。

 

でも、往年の名選手を知らずとも何億も稼ぐ一流選手になっている人が現にいるわけですからねぇ。

 

あまりにしつこく「過去の選手から学べ!」なんて言っていると、ただの老害として扱われてしまいます。

 

「昔は良かった」「俺たちの時代は最高だった」「俺が推していた選手を、お前も推せ!」みたいな感じなんですものね。。。

 

 

ビリヤードでも、現役を退いた選手であったり故人であったりの名前を出しながら「彼が今の現役選手と戦ったらどうなるのか!」を語りたがったり、「今の選手じゃ誰も相手にならない」と言い出したりする人、いるじゃないですか。

 

あれですよ。往年の名ピッチャーに対して「170km出てた」とか言ってるようなもんですからね。。。

 

引退した人や亡くなった方では、もはや証明が出来ない。それを良いことに、昔語りをする人がいる。

 

「自分が尊敬したあのプレイヤーを、今の人にも知ってほしい!」っていう気持ちからというならまだ良くて、「君らなんかじゃ知らないような選手を自分は知ってるんだ。すげーだろ」みたいな態度の人が多すぎるんじゃぁ。

 

聞き手が「そんな選手がいたんですね。凄い!」なんて感想を持つのは話し手がよっぽど人柄に優れた人だった時くらいでねぇ。ほとんどの場合は「知らんがな」「また始まったよ。おじいちゃんの昔話、、、」としか思ってないですからね(;^_^A

 

 

3本目

 

これもまた恒例の「1か0かで考えるのやめろ」っていうネタです。

 

「だました方が悪いのか、騙された方が悪いのか」とか「イジメた方が悪いのか、イジメられた方が悪いのか」とかいう話が紛糾している場面ってのをよく見かけるわけですが、all or nothing論者が交じっていることが原因であることが非常に多いように思えます。

 

あんな話は、「騙した方」「イジめた方」の責任が0になることなんてのは絶対になくて、過失割合がどうなのかっていう話じゃないですか。どっちかが1でどっちかが0っていう話じゃない。

 

なのに割合で揉めるのではなく、片や割合の話をしていて、片や1か0かの話をしていて話が噛み合っていない、、、ってことが多すぎる。。。

 

 

たとえとしまして、一般人みたく今にも倒れそうな感じにテーブルにキューを立てかけていたら、キューを倒されて傷ついてしまったという事故が起きた時。

 

倒した人の責任は免れませんが、しかし、そんな倒れやすい所に置いといた方だって悪いでしょ?過失割合はどっちが高い??

 

そういう話をしているのに「どっちが100%悪いのか」という話に持っていこうとする人がいるから、わけ分からんことになるわけですよ。

 

こういう話が出た時の「倒された方が悪いんじゃない?」というのは「倒された方が100%悪い」ではないです。「倒された方に6割7割くらいの責任があるんじゃない?」という話です。

 

だというのに「倒した奴が(100%)悪くないと言うのか!!」「擁護するのか!」みたいに怒り出す人がいて、いやいやいやいや、そういう話じゃないんだってば、、、ってなるやつ。

 

 

それでですね。

 

私は人の見極めに結構な時間をかけるっていう話をしたことがあります。初対面時に相手の全てを見極められるような人を見る目が自分に備わっているだなんて思っていない。第一印象が良かったとしても、それがその人の全てだとは思わない。

 

だから、急激に距離を縮めることはせず、少しずつ相手の人となりを見極めるようにしています。

 

「あの人、第一印象は良かったけど、結構面倒くさい人だった」と後々判明することはいくらでもある。距離を縮めてしまっているとその人と距離を取るのが難しくなる。距離を縮めていなければ、そのまんま距離を取っておけば済む話なので苦労しません。

 

 

でね?

 

私は言いたいわけですよ。「あなたたち、急激に距離を縮め過ぎなんだってば、、、」と言いたくなる人が多すぎると。

 

来るもの拒まずの態度を取ったり、むしろ自分から積極的に距離を縮めて行った挙句に、相手が面倒くさい人だと分かったら愚痴をいう、、、って人が多くて多くて(;^_^A

 

面倒くさい人の罪は消えませんけどね。見極めようともせずにそんな人に近づいちゃった方にも過失はあるんでないの?って言いたいわけです。

 

 

最近出会ったのは、ポッと出の有名人に期待して裏切られちゃった話です。

 

昨日今日名前が売れた人に、その人がどういう人なのか見極めようともせずに期待して裏切られちゃったって、私的には「期待した方が7割悪い」と考えてしまいますね(;'∀')

 

私も勝手に期待して勝手に裏切られた気分になってしまうことってのは多々ありますけど、それらは全て「気持ちの問題」というだけです。

 

具体的に金銭が絡む場合は、そんなミスはしません。良く知りもしない相手に期待したりなんかしない。社会人だったら当たり前ですよね??

 

そんな当たり前すらなっていない人がビリヤード業界にはいて、なんだかなぁと思ってしまいましたね。。。

 

 

そういう人達ってのは他人を信用しすぎなのか、人を見る目があると過信しているのか、ただ単にボーっとしてるのか、、、