鈴木さんちの球日記

撞球愚痴日記。2006年から書き続けているので、昔と今とでは持論が変わっていることが多いです。1プレイヤーの成長記として、生暖かい目で見守ってください。

玄人

 

1本目

 

ある日の球撞き会後に

 

 

甲:「頭が疲れたー」

乙:「頭はそうでもないけど、体が疲れた、、、」

丙:「大した時間撞いてないから、別に疲れてない」

 

 

人それぞれ、全く別の感想を口にしていたのが面白かったです。

 

セリフだけだと、それぞれがどういうプレイヤーなのか全然分からないですよね。

 

 

頭が疲れる

 

  1. 物凄く緻密な球を撞く
  2. 下手ゆえに頭を使わざるを得ない
  3. 頭を使うことに慣れていない
  4. 単純に疲れていた

 

 

体が疲れる

 

  1. 体力がない
  2. 体に負担のかかるフォームで撞いている
  3. ハードブレイクなど、体力を消耗するようなショットを多用する
  4. 単純に疲れていた

 

 

特に疲れは無し

 

  1. 体力がある
  2. 適当な球しか撞かないから、体力を消耗しない
  3. とても上手いので、下級者を相手にしている程度ではあまり疲れない

 

 

どれが当てはまるのか分からんですからね。

 

 

2本目

 

 私が初級者にアドバイスをしていたら「偉そう」「上から目線だ」「もっと初級者の立場に立って言うべき」とか言ってきた人がいて。

 

 私が初級者だった頃に上級者からされて困ったアドバイスの話をしていたら「上級者に責任転嫁するのか」「お前が悪い」と言われて。

 

あぁ、この人は

 

 

・他人の揚げ足取りをしたいだけ

・私のことが嫌い

 

 

このどっちか(または両方)であり、何も正しいことは言えない人なんだなと思いましたね、、、

 

話は以上です。。。

 

 

3本目

 

私が散々に挑んだ結果「不可能である」という結論を出したことに挑んでいる人がいる。

 

その人がもし失敗したなら「ほらね」「だから言ったじゃん」と言ってしまうかもしれない。

 

けど、結論が出る前に「やるだけ無駄」と言う気はしない。「自分に出来なかったことが他人に出来るわけがない」と思うほどの自信過剰ではないし、「可能である」と証明してもらいたい事でもあるのだ。証明するのは何も自分でなくてもいい。

 

どうなるかなぁ。あの人が失敗したら、少なくともこの先数十年は誰にも達成不可能な気がするんだよな。。。

 

 

4本目

 

ビリヤード界隈のTwitterは大人しめであると、しばしば申しております。

 

Twitterのアカウントを多数持っております私ですが、他のアカウントで見かける人達に比べると、ビリヤード関係者は本当に大人しい。

 

ただ、別にそれは「ビリヤードをやっている人は良い人」っていう話ではけっしてございませんw

 

ビリヤードツイッタラーは匿名性低くやっている人が多いからだろうなと思います。

 

ビリヤード関係者は、同好の友とTwitterを通じて交流を持ち、あわよくば面識のない人ともTwitterをキッカケに相撞きしたい。そう考えている人がほとんどなんだと思います。身バレを前提にやっているから、好き勝手なことは書かない。

 

顔を合わせる機会があるから(あるかもしれないから)下手なことは書かないわけでありましょう。自制心が働くわけですな。

 

 

YouTubeのコメントなど、匿名性が高いところでは本当に皆々様好き勝手なことを言っていて不快な発言も多く見かけるわけですので、それと比べたらビリヤードツイッターは相当に民度が高いと言えると思うんですけども。

 

その一方で「皆さま(自分も含めて)歯に衣着せすぎ、、、」と思うことも多々ある。

 

理不尽な指摘はするべきではないですが、真っ当な指摘はするべき。駄目なことには駄目というべきなのだけれども、駄目と言わずに許容してしまう雰囲気がビリヤードTwitterにはある。まっとうな指摘をした人が悪人扱いされてしまう風潮があるわけです。

 

ほぼ全員が実名に近い形でやっていることの弊害を感じずにはいられません。半分くらいは匿名の人がいてもいいのかもしれない。

 

自分がその役を買う気しないですけどね(面倒くさい)

 

 

5本目

 

とある著名な指揮者さんがですね。「自分は玄人ではない」と言い、その人にとっての玄人は「ノーベル賞を取るような人」と仰るわけですよ。

 

他のことには一切見向きもせず、ただそのことだけに一生を費やせる人。飽きたりなんてしないし、浮気なんかしない。ただただそれをやっているだけで幸せを感じられる人。

 

それが玄人だと。

 

こんなこと言われたら、もう誰も玄人を名乗れなくなっちゃいますよね(笑) ビリヤード界には1人も玄人がいないという話になりそう。

 

その指揮者さんが仰る玄人像は究極の「狭く深く」なわけですが、私はしばしば「狭く深くはリスキーだなぁ」と思わされています。

 

たとえば、スポーツ選手ってセカンドキャリアを見つけるのが大変だっていうじゃないですか。

 

現役を続けていられる限りは一筋であることが長所になる。

 

けど、スポーツ選手にはいつか引退する日がくる。怪我や病気で早期のリタイアを迫られるかもしれない。

 

そうなった時に「自分は他の生き方を知らない」みたいな人は非常に苦労する。一筋であったことが短所になってしまうわけであります。

 

 

もう少し身近な例でいえば、仕事一筋で趣味なんて1つもなかったような人が、定年退職後に何もやることがなくなってしまって呆けてしまうとか。

 

趣味が1つしかなかった人が、何かのキッカケでその趣味を楽しめなくなった時に新たな時間の使い方を見つけられずヤサぐれてしまうとか。

 

そういう例をたっくさん見てます。

 

 

私みたいな広く浅くタイプの浮気性人間は、何かで一流になる事は出来ずとも、常に次善の策が用意されているために逃げ道がたくさんあり、世渡りをするには向いているのかなぁと思ったりします(;^ω^)

 

 

1つだけ毒を吐かせていただきます。

 

 

狭く深くは、私とはタイプが違うけれど理解出来る。

 

広く浅くは、私と同じタイプだから理解出来る。

 

結構広いのに、かつ深い人なんかは「天才か?」と思う。

 

狭く浅い人は全く理解できない。

 

 

話は以上です。