鈴木さんちの球日記

撞球愚痴日記。2006年から書き続けているので、昔と今とでは持論が変わっていることが多いです。1プレイヤーの成長記として、生暖かい目で見守ってください。

誤りを口にするということ

 

もしかしたら、まるっきり同じネタを既に載せたことがあったかも???

 

 

 

このコロナ禍の中で、「普段は見えてこない人間性が見えてくるなー」と思うこと、ありません?「この人はこういう言動をするんだな」「この人はこういう人だったんだな」と思わされること、多くないですか?

  

普段から見えていた部分が、さらに増幅されている人ってのもいます。平時から事件や事故のニュースが大好物で、人の不幸を話の種に盛り上がっているお喋りさんが身近にいるんですけど、その人にとってはコロナの話なんか絶好のネタですからね。新たなエンタメに出会ったかのように嬉々としてコロナについてあれやこれやどうでもいい話をしまくっています。

  

程度の差こそあれ、きっと皆さまの周りにもそういう人が1人や2人いるはず。

  

同じニュース、同じ情報を耳にしてどういう感想を抱くかが人によって全然違って、人それぞれの考え方の違い、人間性の違い、メンタルの違いってのを改めて感じております。

 

 コロナに対する危機感ってのも人によって全然違いますしね。

 

 

さて。今回ネタにしたいのは「未熟な意見を口にすることをどう思うか」についてです。

 

 私はコロナ関連に関する持論をほぼ全く発信していません。0ではないですけど、ほぼ0。ブログやSNSなどのネット上ではもちろん、身近な人に対してもほとんど話していません。

 

 なぜかと言えば「何が正しいのか分からないから」です。

 

 感染防止のためにどういう行動を取ればいいのか。何はしてよくて、何はしちゃいけないのか。政治家の働きをどう評価するか。

 

 分かりません。専門家の間でだって意見が割れててロクに答えは出ていないのだから、ド素人の私になんか分かるわけがありません。

 

 色んな人の意見を耳に入れ参考にして自分なりの暫定的な行動指針は作りますが、しかしそれは「こうすべきだ!」などと他人に対して言えるようなことではない。だから口にしません。

 

  • 持論が正しいとは思えないから
  • よく知りもしないことを口にするのは恥ずかしいと思っているから

 

 この2つの理由により、私はだんまりをきめこんでおります。

 

そんな私と違い、ガンガンに持論をアピールしている人を多数見かけます。私は、そういう人を見るたびに「どっちなんだろう?」と思うのです。

 

 

  • 自分の意見が正しいと思っている
  • 持論に自信があるわけではないが、どんなことでも口にするのは自由であり、間違ったことを口にしても恥ずかしいとは思わない

 

 

この2つのどっちのパターンなんだろう?

 

 

この話は何度も書いておりますが、約15年の長きにわたって書き続けてきたこのブログは私の黒歴史の塊であります。過去の記事を読み返すと間違ったことばっかり書いてあり、非常に恥ずかしい思いをします。

 

 黒歴史も私の歴史ってことで残してありますけど、もし過去の記事に触れられて「こんなこと書いてたけど、どうなのよ?」と問い詰められたら素直に謝る準備は出来ております!(笑)

 

 今も昔も変わらず、私はよく知りもしないことを口にするのは恥ずかしいと思っています。なのにどうして過去には間違ったことを堂々とした態度でたくさん綴ってしまったかと言えば、当時は持論が正しいと思っていたからです。

 

 けっして「間違っているかもしれないけど、何言ったっていいでしょ」と思っていたわけではなく、自分の考えが正しいと思い込んでいたのです。「間違っているかもしれない」と思っていたら、堂々と書いたりはしません。

 

間違ったことを堂々と書いてしまい、後から間違いに気づき恥ずかしい思いをする。そんな黒歴史から反省をし、今はまず「一時の感情に流されず、持論が正しいのかどうか、まず立ち止まって考える」「とにかく自分を疑え」という姿勢になりました。

 

 その上で「全く自信がない持論は書かない」「50:50くらいの自信しかないような持論は、『自信がない』という旨を表記する」「100%近い自信があることであっても、あくまでも私見として書く」ということにしています。

 

 そんな私なので、明らかに間違っている、または正誤が曖昧である内容を断定口調の強気で主張している人を見かけた時には

 

 

  • 自分の意見が正しいと思っている
  • 持論に自信があるわけではないが、どんなことでも口にするのは自由であり、間違ったことを口にしても恥ずかしいとは思わない

 

 

どちらに該当する人物なのかが気になるわけです。

 

 もしも後者なのだとしたら、「この人とは考え方が合わないな」とは思いますし、モヤッともしますが、とやかく言うつもりはないです。よそはよそ、うちはうちです。考え方が違う人に私の考えを押し付けようとは思いません。

 

 一方でもしも前者だった場合には私自身の過去の反省をもとに「そんなんじゃ後で恥をかくよ」「やめておいた方がいいよ」と言いたくなるのです。

 

 

 今回のネタを書くキッカケになったのは、少々前に「さして上手くもない人が技術論を語ること」についてTwitter上で話題になっていたのを見たことでした。

 

 色んな人の意見を見ながら私は「どうも噛み合ってないな」と違和感を覚えました。

 

 噛み合っていない原因の1つに、恐らくは今回ネタにした件が関係しているんだと思います。

 

 

  • 間違っていることを口にしてしまうのは恥ずかしいこと。
  • 間違っていることを口にするのも自由。別に恥ずかしいことではない。間違っていたのなら後で反省すればいいだけ。

 

 

どちらと考えているのかという、人それぞれの価値観の違い、メンタルの違いです。

 

この2パターンの考え方があることを意識し、「相手は自分とは違うかもしれない」という目線があれば良かったんでしょうが、恐らくは2パターンあるなんて考えずに「相手も自分と同じ」と考えたから噛み合っていなかったんじゃないかなーと思います。

 

 噛み合っていなかった原因としてもう1点推測できるのが、これは度々ネタにしていることですが「自分に言い聞かせるべき言葉と、他人にかける言葉の差」ってやつです。

 

 「自分自身がどう振舞うべきか」という話と「他人の行いに対してどう対応すべきか」という話は全然違う話だというのに、ゴッチャになってしまってわけわからなくなっている現場ってのは頻繁に見かけます。今回の件もその傾向があったような気がします。

 

現場をご存じの方はなんとなく察してくれると思いますが、ご存じではない方々にとってはなんのこっちゃの話ですね。

 

どうしても気になったもんだから1ネタ書かせてもらいました。失礼いたしました。