鈴木さんちの球日記

撞球愚痴日記。2006年から書き続けているので、昔と今とでは持論が変わっていることが多いです。1プレイヤーの成長記として、生暖かい目で見守ってください。

上手い人の有効活用

 

1本目

 

ビリヤード系YouTuberが増えたものの、ほとんど見ていない私。とはいえ全く見ていないわけではありません。YouTubeのオススメに出てくることも多いので、タイトルやサムネに釣られた時には見ています(笑)


プロが出演している動画を見ることが多いです。


ビリヤード動画を見て「エンジョイしたい!」っていう気持ちはほぼ皆無なので、ビリヤード動画を見るとしたら私は勉強がしたい。勉強するためにはやはり上手い人が出ている動画を見るのが一番であります。


誰とは言えませんが、とあるビリチューバーさんの動画を見て「こなれてきたなー」と感じました。


そのYouTuberさんの初期の動画を見て感じたのが「質問のレベルが低すぎる」ってことでした。


「わざわざプロを出演させておきながら、なんでそんな質問しか出来ないのか」「プロの無駄遣い」っていう質問ばっかりでガックりすることが多かったのです。


せっかくプロを出演させているからには、そのレベルの人にしか答えられないような質問をしてほしい。「そんな質問、そこら辺の普通のA級でも答えられちゃうよ」ってな質問をトッププロ相手にしちゃう。あまりにも無駄すぎて頭を抱えることが多かったです。


それが最近は「いい質問!」「聞きたいことを聞いてくれている!」って思うようになりました。


やっぱり何事も慣れですよね。YouTuberさん達も段々と慣れてきて、質が上がってきたんだろうな。

 

 

2本目


ボウラードは、全くやらないっていう人から毎日やっているって人まで色んな人がいるもんだから、自分の立ち位置がどれくらいなのか良く分かりません。


自分としては「滅多にやらない」と思っているんですが、私以上にやらない人も多数いることを知っているので、なんとも言い難い。


記憶にある限り、私はCクラス時代には1度しかボウラードをやっていないと思います。歴半年くらいの時に初めてボウラードをやって、78点だったと記憶しております。


B級になってからも、あんまりやった記憶がありません。気が向いた時にたまーーにやるっていう感じ。


最も頻繁にボウラードに取り組んだのが、A級に上がりたての頃ですね。基本技術のおさらいと精神修行とブログネタのためにやっていたと記憶しております(笑)


で、私、度々耳にする「ストライクが出たところから始める」ってのをやったことがありません。

 

また、完遂せず途中棄権したってこともほとんどないはず。急な用事が入ってしまって切り上げなきゃいけなくなった場合を除き、「やる気がなくなった」などの理由で打ち切ったことは恐らく1回2回くらいだったんじゃないかな。


他方で、「途中でやめた」っていう声をかなり多く耳にします。途中で辞めてしまう人も多い中、なぜ私は途中でやめた経験がほとんどないかを考えてみると


・嫌々ながらやっていたわけではなく、自分なりの目的を持ってやっていたから
・点数を出すことを目的にしていなかったから


これが大きいんじゃないかなと思います。

 

で、言いたいのはここからなんですけど、未遂で終わらせてしまった人に対して「完遂しなきゃダメ」みたいに言われることがあるじゃないですか。


正しい意見のようでいて「完遂する意味とは?」と、唐突に疑問に思いました(笑)


途中で投げ出さずに完遂することで、どういったメリットがあるのでしょうか??


というのも、私の周りには途中で投げ出す上位A級の方が結構いますw 途中でやる気をなくして未遂で終わらせてしまうのだけれど、彼らは上手い。


「今はそうだけど、もっと下手な頃はちゃんと完遂していたのでは?」という話になるかもしれませんが、何人かに聞いてみると「昔っからこうだ」という返事が返ってきましたw


別に完遂するか否かは、腕前に関係してこないんじゃないの?


どうなんでしょうね(笑)

 

 

3本目


誰しも「格好の良さ」というものに拘ってしまうことはあると思います。


フォームやストロークに関して、組み立て方に関して、道具に関して、所作についてなどなどについて、「とにかく格好良くしたい」と思うにしても「格好良くなくてもいいけど、格好悪いのは嫌だ」と思うにしても、程度の差こそあれ格好に拘ってしまうことはあるはず。一切全く格好に拘っていない人なんていないはずです。


何もデメリットが無い拘りなら良いですが、こだわることで明らかに結果が疎かになっているだとか、球撞き時間を減らてしまっているだとか、そういうデメリットがある場合は他人からしたら「無駄な拘り」「排除した方がいいこだわり」に見えますよね。


さらに言えば、そもそも他人の目からは格好いいとは思えないことも多々ある。賛否が分かれるような格好良さ、本人しか格好いいとは思っていないような格好良さなど、独りよがりな格好良さを追い求めた挙句にデメリットまで抱えているとなったら、他人からしたら本当に無駄にしか思えません。


けど、当人にとっては、とっても大事なことでありましょう。ビリヤードをやる上でのモチベーションの1つになっているのかもしれない。


私には、そういう無駄な格好良さへのこだわりがたっくさんあります。自覚はあるが、変える気が無い。


練習中に「こうした方が明らかに結果は出るんだけど、格好悪いから不採用」なんていう判断を下すことがしょっちゅうあります。


他人からは散々にツッコまれます。けど私としては「放っておいてくれ」としか思えません。


他人からの意見で変える気はないのだけれど、とはいえ私自身も「このこだわりは捨てなきゃいけないよなぁ」と思うことがある。


そんな自分を変えてくれるのは、やっぱり「痛み」だったりするのです。


「格好なんぞに拘っている場合ではない」と思わされる痛み。「格好に拘っていることが、むしろ格好悪い」と感じさせられる痛み。


そういう経験をすることでしか変わらんなぁーと、変わった後にはいつも思いますね。

 

下級者にアドバイスをしている時も「格好悪いから嫌!」と否定されることが度々あります。下級者の方も無駄なことをやっているという自覚はあるのだけれど、でも格好に拘りたいらしい。聞き入れられないとは分かっていても、一応は念のために「格好に拘っている場合ではない」と言ってみます。でもやっぱり聞き入れられませんね(笑)


彼らもやはり、何かしら変革に迫られる出来事に出くわさない限りは変わらんのだろうな。

 


痛みを例にしましたけど、変わるキッカケは痛みだけじゃなく、良いキッカケもあります。それまでとは違う撞き方をしてみたら、猛烈に良い結果が出た時なんかがそうですね。


違う撞き方をしてみたことに何かキッカケがあることもあるし、なんの脈絡もないただの思い付きであることもあるし、フォームやストロークが不安定であるがゆえに意図せずそういう撞き方になってしまった結果であることもあるのですが、なんにせよ普段とは違う撞き方になり、「この撞き方、格好悪くね?」と思えども、猛烈に良い結果が出るっていう。


そういう出来事があって、考え方を変えるっていうこともある。


ただ、どうせなら「格好悪いと思っていたことが、格好悪くはなかった!」っていう方向に考えを改めたいです。現実的には「さすがにこれだけ結果に差が出るとなると、格好なんかに拘ってないで、結果を出す方が大事!!」「でもやっぱり格好悪い。。。」と思いながら撞いていたりするので(;^ω^)