1本目
ここ数か月、週1ペースでキッケー氏と相撞きをし、教えたりもしているのですが、そうして思ったのが「他人に指摘をするのは簡単だなぁ」ってことでした(笑)
キッケー氏には分かりやすい欠点がいくつかあるので、それを感じた通りに「こういうところが駄目ですよー」「こうした方がいいですよー」って言うわけですけど、自分自身も同じ欠点を持っていて絶賛改善中なことだったりして。
自分だってできていないのに、それを他人に指摘する。そういう行為は賛否ありますけど、指摘内容は誤りではないわけでして、後は指摘された人の気持ちの問題ですねw
似たような話であり、ビリヤードとは全く関係のない出来事からの連想ネタなんですけども、「どこまで指摘をした方が良いのか」について考えたことがありました。
主にネット上での匿名での辛辣なクレームに対して、「『駄目だ!』と言うだけなら誰にだって出来ることであり、『どうすべきか』まで書かなくては意見とは言えない」みたいなことが言われたりしますよね。
それはその通りだと思うわけですが、一方で私が連想したのは、ビリヤードでのフォームやストロークに対する指摘です。
フォームやストロークの粗って、自分よりも他人からの方が見やすい場合も多いですよね。自分では自撮りして動画でチェックしないと分からなかったような欠点が、他人からはいつでも見られるわけですから。
自分では気づかなかったような欠点を他人から指摘された時、「ここがこうなってましたよ」とだけ言われれば「本当ですか?まずいな。直さなきゃ。ご指摘ありがとうございます」で済む場合が多い気がします。
ところが「ここがこうなってたよ。こうすべきだよ」とまで言われるとイラッとすること、多くありません?(笑) 「こうすべき」までは言及されない方が良い気がする。
「こうなってましたよ」までで終わりにすべきなのか。「こうすべき」まで言うべきなのか。
ケースバイケースですかねぇ。
2本目
先日キッケー氏に指摘したことであり、私自身もここんところ改良中であるのが「キュー出しでゴマかさない」ということであります。
この間も書きましたが、私はショットを
・キューの角度
・キュースピード
・撞点
この3つだけで説明が出来るものと考えております。「キュー出し」だとか「撞き方」だとか言われるものは、撞き方を変えたことによって角度かスピードか撞点かのどこかが変わっているというだけの話であり、結局はこの3つで説明できるのだと。
この3つをイメージ通りにするための撞き方を考えるのは良いですが、この3つとは別に「撞き方」「キュー出し」という要素があるのだと考えるのは駄目ですよ、と。
こういうシンプルな考え方をするようになった理由の1つに、私が昔に散々キュー出しやら撞き方やらにこだわってしまったことによる反省が挙げられます。
「狙った撞点をそのまんま撞くようなのは面白くない」「独特なキュー出しをするのが格好いい!」っていう思いがあったし、また「正確に撞点を狙っていくのが面倒くさい」とかいう情けない理由もあり、「格好つけ」と「ごまかし」のために散々に手癖の悪さを鍛えてしまった。
まぁ、その過去を全て後悔しているわけではなく、そんなことをやっていたおかげで学べたことも色々あると思っていますが、今はとにかく基本に立ち返ろうとしています。基本をすっ飛ばしてたら、何にもならん。
過去に散々「キュー出し」「撞き方」「手癖」なんて呼ばれるものでショットに変化をつけて撞いてきたため、私には「出来るんだけど、自分ではどこを撞いてるのか説明が出来ないショット」ってのがたっくさんあります。
本当は左上を撞いているのに、私自身は左下を撞いている感覚になっているショットとかある。人から「どこを撞いてるんですか?」と聞かれて「左下ですよ」と言っちゃったりする。
そういうショットがたくさんある。出来るんだけど説明が出来ない。説明が出来ないけど出来る。
出来るんだからいいじゃんってのが従来の私の考えだったんですけど、私も一歩前進して、正確な手球コントロールを志すようになりました。そうしますと「自分のショットを自分で把握していない」ってのは非常に困るのであります。
たとえば、フリのある先球に手球を当てた後の分離角ってのがありますよね。手球を無回転で当てた時には90度に分離するっていうやつ。
押し引きを加えることでその分離角を変えていくわけですが、得意な角度、不得意な角度ってのがどうしても存在します。
その不得意な角度を習得するにあたって「得意な角度に微調整を加える」という形が良いと思うのですが、そもそも得意な角度で分離させるときに自分がどういう撞き方をしているのか自分で分かっていない。出来てるんだけど分かっていない。
そうなると応用が利かないわけであります。
出来ているショットを把握できていれば、そこから半タップなり1/4タップなり撞点を変えるという形で変化を加えるですとか。はたまた撞点はそのままで力加減を変えるですとか。そういった調整が出来るわけですが、出来ているショットを把握出来ていない。基準がないから、何もしようがない。
そんなわけで、近頃は「自分がどこをどう撞いてんのか」をしっかり把握できるよう意識しながら練習しております。今までできなかった頃が色々出来るようになって楽しいですね。ノビシロだらけ!!
ここ最近で意識改革の効果を最も実感したのが、カイルンをやった時でした(笑)
全くの余談ですが、カイルンって2つ当てるところまでは比較的容易ですが、3つ当てるのがメチャクチャ難しいじゃないですか。
バラけてしまった3つに当てるのは恐ろしく難しいし、3つを寄せようとしたらしたで難しいし。
これは何年も前の話ですけど、フロックが多い某B級氏とカイルンをやった時のこと。恐らく彼のカイルン経験はその1回しかないと思います。
Bクラスであることを考慮しても手球が雑な某B級氏。2個に当てるのすら一苦労。残しなんぞ全く考える余裕はなく、バッチンバッチンと撞いて頑張って2個に当てていました。
そうしたらある時、バッチンバッチン撞いた結果として、たまたま偶然3つが隅っこに集まって「そりゃ、初心者だって3つ当てられるわ」っていうような配置になって初カイルン。
「運気があれば何でもできるもんだな」と思った事件でした(笑)
3本目
私はボウラードパーフェクトを何回か出したことがあります。私が出せるわけですから、A中以上のプレイヤーであれば、さほど渋くない撞き慣れたテーブルでやれば、誰だってパーフェクトを出せるポテンシャルはあると思っています。
けど、実際にはパーフェクトを出したことがないっていうA中以上のプレイヤーはたくさんいて、SAやプロの中にもパーフェクト未経験者はいる。
なんでかって
・そもそもボウラードをやっていない
・ボウラードをやる意義を見出せないから、本気でやる気が起きない
などの理由が当てはまるはずです。
私の場合は昔っからブログをやっておりますので、ボウラードがネタの1つに出来ました。そしてまた高い点数を出せていた方が、ブログで書く際に格好いい。
そんなしょーもない理由で私はある程度真面目にボウラードをやった経験があるわけですが、多くのAクラスプレイヤーにとってはボウラードなんぞ真面目にやる対象ではないのでありましょう。
私も今やるとしたら「ブログやTwitter用のネタとして」とか「承認欲求を満たすため」とか、そういう理由しか思い浮かばなかったのですが、1本目で書いたような意識改革を行ったことで、ボウラードをやる意義を1つ見つけました。
従来の私のボウラードは、9ボールを撞いている時と同じで、組み立ては適当でした。
まともに組み立てを考えていないし、考えた時にもその通りに出来ていないしで、入れ倒し。入れ倒しでも取り切れちゃうから「ボウラードは簡単」「集中さえしていれば、組み立ては適当でもパーフェクトは出せる」という感覚になっていました。
私が組み立てをちゃんと考えなかった理由は
・ただ単純に面倒くさい
・組み立てを考えたところで、その通りに実行出来るだけの手球コントロールが出来ず、どうせ出たとこ勝負になる
・組み立てが適当でも、入れの力で取り切れちゃう
こんなところです。情けない理由しかないですねw
けども最近は意識改革をした結果、比較的手球が上手くなった。組み立てれば、その通りに実行出来る確率が上がった。
となると「ボウラード、どこまでイメージ通りに取り切れるか!」ってのに挑戦してみたい!
そんな気持ちになっています。
8ボールや14-1となるとエニーボールの難しい面が際立ちますが、ボウラードとなるとエニーボールの簡単な面ばかりが目立ち、9ボールの時以上にまともに組み立てる気が起きませんでした。実際、組み立てが適当でも取り切れちゃうから。
ストライクを出すという結果は同じでも、入れ倒しストライクと、お手本のようなストライクでは中身が違う。
質の高いストライクを目指してみようかなーという気になっています。
入れ倒しでのストライクでは、それこそ承認欲求を満たすためだけのネタにしかならず何の参考にもなりませんが、お手本のような取り切りが出来れば初級者の参考になりますしね!
その分撞くのが遅くなっちゃいそうだけど、そこら辺はまぁ、早送りすりゃいいですしねw