1本目
先日も書きました通り私は有線のイヤホン・ヘッドホンを多く所有しているのですが、ワイヤレスの物もいくつか持っております。
この間ワイヤレスのヘッドホンを使いながら、「そういや、一昔前の私は『コードが絡まない仕組みを作れたらノーベル賞ものだ!』とか言ってたなぁ」と思い出しました。
コードがすぐに絡む。それを一々ほどかなきゃいけない。それが面倒だったわけです。
有線が完全になくなることはないですからやっぱり絡まない仕組みはほしいですけど、「絡むのが嫌なら、ワイヤレスを使えばいい」っていう選択肢が出来ました。
そこからの連想で「イノベーションやーー!」って思ったビリヤードの出来事が2つ頭に浮かんだんですが、風呂に入っている間に1つ忘れちまった!!
ってことで1つだけ。ラックです。
木ラックの時代はラックが木製であるがゆえに一定に組むことが難しい場面が多く、「経年や湿度・温度による変化の少ない材質でトライアングルラックを作る!」という方向性に話が動き出し、実際にそういうラックがいくつか登場して「試しに買ってみようか」「でも結構いいお値段するなぁ」とかなんとか店で話していた頃にラックシートが出来て。
もう全く別の方向性ですからね。
まぁそれまでも既にシールという発想はあったわけですからシートが全くの新発想というわけではないかもしれませんが、あの頃は「いかにトライアングルラックで上手く立てるか」ってことを考えてて、トライアングルラックを全く使わなくなるだなんて思ってもいなかったなーと。
それだけの話ですw
2本目
オカルトと呼ばれるものは、「常識的に考えておかしい」「直感的におかしいと分かる」という類のものです。
しかし、間違いなくおかしく、自信をもって「それは間違っています」と言えるのだけれど、間違いであることを論理的に説明することが出来ない自分の頭の悪さが悔しくもあります。頭の良い人の手を借りないと説明が出来ない。
程度を少し落としますと「違うと思うんだけど、ハッキリと『それは違う』と言い切る自信はない」という理論が出てきます。
誰かが声高に「こうだ!」と主張する。それを聞いて「違う気がする」と思うのだけど、違うと反論するほどの自信はない。
1回や2回聞かされただけなら記憶から消えていくと思いますが、同じ人から何度も聞かされるとか、複数人から度々聞かされるとか、場合によっては理論を押し付けられるとか。そうなりますと「否定したい」「論破したい」「でも、私の知識では論破出来ない」となってモヤモヤモヤモヤ、、、、
正直、トッププロの話を聞いていても「それって感覚を無理やり言語化しているだけで、実際には違うんじゃないの?」とか「結果から理論をコジつけているだけで、本当にそんな現象起きてるの??」って言いたくなること、結構あるんですよね(;´∀`)
でも、正しいのか間違っているのかを検証するためには、超高精度ハイスピードカメラが必要だとか、ストロークマシンが必要だとか、そういうような事ばっかりでして、現状では何も言えない。
間違っているならば論破したいですし、別に正しいなら正しいで良いんです。「あの人の言っていることは正しかった」「私が間違っていた」という結果になるなら、それで良いのです。正しいのか間違っているのか誰も証明出来ない理論を聞かされ続けるっていう状態が、一番モヤモヤする。
誰も証明できないのにあーだこーだと意見をブツけあい、しかし誰も証明できないから永遠の平行線という。
球撞きの上達の上では全く必要としていないけれど、「相手を論破したい」とか「モヤモヤを解消したい」というためだけに欲している知識ってありません?ww