鈴木さんちの球日記

撞球愚痴日記。2006年から書き続けているので、昔と今とでは持論が変わっていることが多いです。1プレイヤーの成長記として、生暖かい目で見守ってください。

小さな親切大きなお世話

毒吐き3本立て

 

1本目


ある時「男は気が利かない」という趣旨のツイートを見かけて、ふとこんなことを思っておりました。


男女ともに気が利く人は利くし利かない人は利かないので、男女という括りで見ようとは私は思わないのですが、「気が利かない人」の中の傾向として男女差があるように私は感じております。


男性の気が利かない人ってのは、そもそもの話として「気を利かせようという気が無い」って人が多い気がします。何もする気が無くお客様の態度というか王様の態度というか。


一方、女性の気が利かない人ってのは、空気を読もうとはするのだけれど、スキルが足りないって人が多いように感じます。目の前の人には良い顔をしようとするのだけれど、後ろにいる人に迷惑をかけていることには気づかない、みたいな。


気を利かせようという気が無いってのはもちろん問題外なんですけど、スキルが足らない人達でありがちなのはスキルが足りていない自覚がなく「自分は気が利く人間です!」みたいな態度に出ていることですね。それが痛い。実際には「気を利かせようという気概はあるけど、気を利かせられていない人」なんですけどね(笑)

 

 

2本目


1本目と似た方向性の話なのでまとめてみましたが、全く別の時期に書いているネタなのでつながりは特にございません。

 

何かキッカケがあったわけじゃなくて、唐突に思い出した毒吐きが2本目のネタなのですが、まずはこんな記事を見ていただきましょう。

 

j-town.net


ちょっと前に話題になってたやつです。


ここから派生して、各業界で働く人たちが「こういうことはやめてほしい」と発信していました。


たとえ客の側が店のためだと思ってやったことであっても、店からしたら迷惑にしかなっていないことってのがどうやらたくさんあるようです。

 

 


かつてこのブログにはコメント欄があったわけですが、ついたコメントで今でも記憶に残っているものが幾つかあります。そしてそのほとんどが印象の悪かったコメントでありますw


そのうちの1つをまずネタにしたいのですが、どういったコメントだったかと言えば、細かい言い回しは覚えていませんが「相手が親切のつもりでしてくれたのであれば、どんなことであっても感謝している」といった趣旨のことでした。


そのコメントが「そう努めている」という趣旨であったのであれば共感したと思います。「相手が親切のつもりでしてくれたのであれば、どんなことであっても感謝出来るように努力している」なら同意出来たのですが。実際には「自分は出来ているぞ」「自分は悟っている」という内容でしたので共感出来なかったのです。そんな達観ができている人は滅多に存在しないからです。


小さな親切大きなお世話だったとしても、相手が私のためを思って行動してくれたのであれば感謝すべきであるというのは正論でありましょう。


ただ、正論というのは所詮は正論です。現実的ではありません。正論なんてのは口喧嘩に勝つための手段でしかない。


繰り返しになりますが「小さな親切大きなお世話だったとしても、相手に感謝の気持ちを持てるように努めている」だったら共感したんです。しかし「小さな親切大きなお世話だったとしても、私は感謝するぞ」というニュアンスなコメントだったわけですね。たとえ迷惑を被っても親切心からの行動であれば相手に感謝するという行動を常にその人は取れているんですって。

 

 

格好つけてんじゃねーよ

 

 

としか私は思えなかったわけですねww


「そういう人間になれるように努めている」なら「自分もです」と返せたのですが、「自分は相手に感謝出来る人間ですよ」という趣旨だったものですから反発したくなったわけでして。


常に自分を律して相手に感謝できている人間なんて、そうそういないって。


小さな親切大きなお世話って、ハラスメントと同じようなもんだと思うんですよ。


昨今取り沙汰されることの多いセクハラやらパワハラやら、その他の「〇〇ハラ」にしても、した方の意図は関係なく「された方がどう感じたか」なわけじゃないですか。「セクハラの意図はなかった」「まさかこれがパワハラと言われるとは」なーんて主張したって無駄なわけですよね。


小さな親切大きなお世話も、「親切のつもりでやった」だったとしても、された方が「迷惑だ」と思ったら、それは迷惑行為です。

 

当該コメントをもらった時にどういうネタを書いたんだったかよく覚えていないんですが、恐らく対戦中のマナーについて触れていたんだったと思います。


相手は良かれと思ってやっているっぽいのだけれど、逆に気になってしまうことってあるじゃないですか。


真剣に撞いていてプレッシャーもかかっている中で、ここぞっていう時に相手に変な行動を取られて集中力を失ってしまって。


そんな時に「その程度で気持ちを乱した自分が悪い」と自分を律しようとするのは正しいにしても、「どうやら相手は親切のつもりだったらしいので感謝せねば」なんてどうやったって思えませんよ。対戦終了後にだったら頑張れるかもしれませんが、まさにその場で「相手は親切のつもりなのかもしれない!」と考えること、できます?


真剣な勝負の場では気持ちに余裕が無いですよね。そういう時に小さな親切大きなお世話をされて「相手は親切のつもりらしいから感謝せねば」などと思えるのは本当に器が大きい人ですけど、そんな人は滅多に存在しないでしょう。コメントをしてきた人がそんなレアケースだとは思えない。

 

なので考えられるのは「単なる格好つけ」か、または「日頃、あまり真剣に球を撞いていない人」のどちらかでした。真剣に撞いてない時はメンタルに余裕がありますから、変な事をされても気になりませんからね。

 


今日の1本目のネタも2本目のネタも、人のために何かをしようとするにはスキルがいるという趣旨の話が出てきました。「人のために何かをしたい」という気持ちを持つのは大前提ですが、それだけでは駄目。気持ちに加えてスキルがいる。


人のために何かをしようとする気はないってのが3流。人のために何かをしようとはする気持ちはあるけど出来てないのが2流。出来るのが1流。


2流は1流を目指さなくてはいけない。3流よりも上だからってことだけで満足してはいけない。けどなんだか満足しちゃっていて「自分偉い!」みたいな態度の人が多いぞ?


って言いたいことがしばしばあります。

 

 

3本目


っていう1本目2本目のネタを書きあげてしばらく寝かせていた間に、また似たような出来事がありました。


それもまぁ方向性としては同じで「相手が親切のつもりだったら感謝して受け入れるべきである」「無下にするのは相手に失礼である」みたいな主張をしている人がいました。


小さな親切大きなお世話を許容するべきという主張だったわけですけども、各種ハラスメントを許容すべきと主張する人は、その人自身がハラスメントをしがちな人でもありますからねぇ。


本人は「ハラスメントを許容するのも人としての器の大きさである」と言いたいらしいんですけど、同じ穴の狢というか、、、


ちょぃちょぃ書いている「多様性にも認めるべきものと認めてはいけないものがある」っていう話ですね。