鈴木さんちの球日記

撞球愚痴日記。2006年から書き続けているので、昔と今とでは持論が変わっていることが多いです。1プレイヤーの成長記として、生暖かい目で見守ってください。

「迷惑」の境界線

連休があった時。丸一日休みだった時。半日だけ休みだった時。数時間だけ空き時間があった時。数時間空いているけれど待機しなくてはならず外出は出来ない時。30分の空き時間があった時。待ち合わせの相手が遅刻してくるなどで、唐突に30分の空き時間が出来た時。電車やバスに乗っている時。満員の電車やバスに乗っており、何も身動きが取れない時。ほんの数分だけ暇な時etc....


色んなシチュエーションがあって、各シチュエーションに対応した暇つぶしを考えていたら、どんどんと趣味が膨大な数になっていったというのが私の人生であります。


最も時間も場所も持ち物も問わずに出来るのが「考え事をする」であります。自分では「思考の時間」などと言っております。これもまた趣味の1つ。


その時間にブログネタを考えることは滅多にないです。ブログネタを考えようと思って思考の時間に入ることは無いのですが、思考の時間で考えていたことを、無理やりブログネタに繋げることは非常に多いw


そのせいでこのブログはビリヤードと繋がりの薄い七面倒なネタが多いのですが、今日もそんなネタです。

 

 

ここ最近、思考の時間にお題として挙げていることの1つに「どこまでが『迷惑』なのか」というものがあります。


以前にも書きましたが、認めるべき多様性と、認めてはいけない多様性があると思います。


人それぞれに色んな趣向があり、多様性を認めるべきであり、排他的になってはいけない。かといって快楽殺人に対して「そういう趣向の人もいるんだから認めるべき」がまかり通るかとなったら、当然NOなわけで。


殺人嗜好なんてのは極例ですが、では認められるべき多様性と認められるべきではない多様性の境界はどこなんでしょうか。


今まで私は「人に迷惑をかけない範囲」が認められるべき多様性の範囲だと考えておりました。


それは今も変わってないんですけど「じゃぁ『人に迷惑をかけない範囲』ってどんな範囲だ?」「何をもって『迷惑だ』と感じるかも人によりけりなんだから、定義出来ないじゃないか」と話が振り出しに戻ってしまったのであります。

 

 

思考の時間に考えていたビリヤードの具体例が2つありました。


1つはクラスアップに関してです。


私は「上のクラスにはまだ1歩足りない気がする」という段階で上がるべきだと考えています。そしてまた「早めに上がったところで自分が苦労するだけで、誰にも迷惑はかけない」とも。


けれどもどうやら「実力もないのに上のクラスに上がるのは格好悪い」「見苦しい」「見ているだけで不快」などと言う人が一定数いるようなのです。彼らからしたら「早めにクラスアップする人は不快であり迷惑だ」という事になるのでしょう。


そういう迷惑って、迷惑って言うの??

 


もう1つが、ハードブレイクに関して。


ハードブレイクをして手球を頻繁に場外させて、人に当てたり物を壊したりしていたらそれは「迷惑」でしょう。


では「意味もなくハードブレイクをするだなんて勝負を舐めている」「そんなブレイクをするのは不快」っていうのは迷惑をかけているって言うの?


これらが迷惑として成り立ってしまったら「あなたのキューのデザインは格好悪い。見ているだけで不快で迷惑」だとか「あなたのストロークは見ているだけでイメージが悪くなる。迷惑」だとか「見ているだけで不快な迷惑顔」だとか、そんなのが認められることになっちゃいますよね。


不快に感じてしまうのが事実だとしても、それは「自分の不徳の致すところ」として自分を変えて対応すべきところでは?


でもそれも所詮は私の価値観でしかない。異なる価値観の人もいる。それは認めるべき価値観なのか認めてはいけない価値観なのか。


話が堂々巡りして、結局何の結論も出ていないってのが今の状態ですw


今後、どうなって行くでしょうかね。