3本立て
1本目
ちょぃちょぃ書いていることですけども、「他人に評価されずとも、自分の好きなようにやりたい」と考える人もいれば、「とにもかくにも他人から評価されたい」と考える人もいますよね。
んで、「他人から評価されたい」と考えるのであれば、他人から評価されるようなことをしないといけませんよね。
好き勝手にやってても人から評価されるような人もいますし、迎合しなきゃ評価されないような人もいることでしょう。
そして、最も無意味なのが、迎合しなけりゃ評価されないような趣向の持ち主であるのに迎合せず、かつ「評価されたい!!」って言っている人。
好き勝手にやって、全く評価されないのに「なんで評価しないんだ」「おかしいだろう」「評価しろ!!」っていうタイプの人。
自分の主義志向を貫くか、他人から評価されるか。両立は出来ないのに両立させようとする人。
彼らの言動ってのは、翻訳すれば「俺は評価されて然るべきことをやっている」「変わるべきは自分じゃない。お前らだ」っていうことですよね。
社会不適合者というかなんというか。ま、昔も私はそういう振る舞いが多かったので、人のことを言っていられませんけど。
とあるビリヤード外の出来事から思い出したことなんですけど、昔、あまりにもセーフティーが多すぎて全く入れに行こうとしないもんだから嫌われている人がいたんです。
でもその人は、物凄く「褒めてもらいたい!」っていうタイプの人で。ビリヤードから離れても、とにかく他人からの評価を欲しがる人で。
でも、評価をされるような球を撞いていない。もちろん誰からも評価をされないってことはないでしょうが、少数の人からしか評価してもらえないような球を撞く。そして「少数からしか評価されない」ということを良しとしない。大多数の人から褒められたいと思っている。けどそういう球を撞かない。
ある時その人に「そんなに評価されたいんだったら、評価されるような球を撞くべきだ」とズバッと指摘した人がいました。私は「よく言ってくれた」と思っておりました。
そういう指摘を受けて、何か思うところがあったらしく、その人は素直に聞き入れていました。
ところが後年その人がどういうプレイスタイルになったかというと、今までよりもガッチガチなセーフティーをしまくるようになったんです。遅撞きになったというオマケまでつけて。
「そんなに評価されたいんだったら、評価されるような球を撞くべきだ」という指摘を受けて、その人は納得した。「なるほど。自分はまだまだ評価されるに足り得る球を撞けていなかったのだ」と納得したのでしょう。
そして彼は「評価されないのは、セーフティーが甘いからだ」「もっとセーフティーの完成度を高めねば!!」と思ったのでしょうね。一生懸命にセーフティーを練習した。精度を高めるために、撞くペースまで落ちてしまった。
これ、他人事だと笑い話みたいですけど、結構な悲劇だと思うんですよ。
指摘した人も他の誰も、まさかその人がそこまで周りのことが見えていない人だとは思ってもみなかった。そこまで自身を客観視出来ていないとは思わなかった。「セーフティーを鍛えれば評価してもらえる!」と勘違いするだなんて思ってもいなかったのです。
その人自身の能力にも原因がありますし、誰もその人のことを真に理解してのアドバイスをしてあげられなかったってことにも原因があるし。
もう1つの原因が、勘違いプレイスタイルが完成に近づいてしまうまで、誰もが勘違いに気づけなかったくらい、その人が普段相撞きをしないってこと。
頻繁に相撞きをする人ならば、身近な人が「直ってないじゃん」「なんか間違った方に進んでない?」と途中で気づけたと思うんですよね。
けど、一人撞きをメインに球を撞いている人なもんだから、誰もが気づくのが遅れた。ここら辺も悲劇の一因だ。
人からの評価が欲しいのであれば、積極的に周りの人と絡んで、周りからの評価を聞き入れる姿勢ってのは大事だなと思った出来事の1つです。
2本目
Twitterというサービスが始まったのは十数年前でして、当初から登録していたっていう人も少なくないと思います。
私が最初に登録したのは、、、確認してみたら、2011年3月だそうな。8年ほど前ですね。
その頃から、ビリヤード関係の人のツイートを見ておりましたが、ビリヤードについて熱く語る風潮はあまりなかったように思えます。一部の人だけ、っていう感じ。
それが近年はやけに増えた気がします。「最近、ツイッター界隈がにわかに盛り上がっている」と言われるくらいですからねw
なにかキッカケでもあったんでしょうか?知らんけど。
私が普段球屋で顔を合わせる人たちはツイッターをやっていない人がほとんどです。なので当然ツイッターの話は出てきません。
私がツイッターの話を最もよく聞くのは若い子達からです。学生であったり20代の子達であったり。彼ら彼女らに会った時には、よくツイッターの話を聞きます。主に女の子からですかね。先入観だと言われてしまうかもしれませんが、女の子の方が噂話は好きですからねw
で、最近耳にしたのが「(学生の子たちの間で)クソリプランキングなんて話になっている」という話。
何年か前に「クソリプおじさん」なんていうのを聞きました。
リプ。リプライ。返信。コメント。
Twitter上でメチャクチャ絡んでくるのだけれど、そのコメント内容があまりにクソすぎるっていうことで有名になっていた人がいるのです。
しかしどうも最近は「クソリプおじさんが可愛く思える」とまで言われてしまう人物が新登場したらしい。ランキングのワーストが入れ替わったようなのです。
さすがに個人が特定出来るような記述は避けますけど、たぶんツイッターをやっている人であれば「あの人のことかな。。。」って想像がつくんじゃないかと思います。
若者たちの間で話が盛り上がってしまうほど、各所の飲み会のネタになってしまうほどツイッター上で嫌われるって、相当なことですよ。
とある業界関係者からは「業界から追放したい」という発言が出るくらいですからね。。。
ほんとね。他人の土俵に上がっての発言には気を付けた方が良いですよ。
自分のアカウントでツイートする分には、多少過激なことを書いていてもスルーしてもらえると思いますが、人様のツイートに対して自己顕示欲旺盛なコメントをガンガンに入れてたら嫌われて当たり前でしょう。
というわけで「自分のところでは自由に。他所の土俵に上がる時は慎重に」という話でしたが、立場のある人は自分のところでも慎重に、、、、ってのが3本目。
3本目
親しい間柄の相手であっても、何かしら気に食わない点ってのはありますよね。一切全く何も欠点がないとか、何も意見が食い違わないだとか、そんな相手はいませんよね。
逆に言えば、ちょっとやそっとのことで相手のことを嫌いになんかならないですよね。
人のことを「嫌い」というほどにまでなるのは、よっぽどのこと(たとえば暴力を振るわれたとか)があったとか、許容できない意見の食い違いがあっただとか、1つ1つは小さなことだけれどもあまりに多くの点で意見が合わないだとか、そういう場合でありましょう。
最近盛況なツイッター界隈。面識のない方々のツイートを見かけることも多いわけですけども、その中でどうしても「うーん。この人のツイートは気に食わないなぁ」と思う人が出てきます。
前置きで書いた通り、1つ2つの小さなことだったらそんなことは思いません。面識のある親しい間柄の人のツイートであっても「そのツイートはちょっと(;´∀`)」と思うことはあります。でもその程度のことでその人のことを嫌いにはなりません。
面識はないけれどツイッターを見ていて好感を持っているような人もいて、そういう人に対してであっても「そのツイートには共感出来ないなぁ」って思うことはあります。でもやはり、その程度のことで好感度が下がることはありません。
「この人、どうなの?」とまで思うような人ってのはそういうレベルじゃないわけです。全く共感できないツイートを連発するとか、ツイートのなにもかもが態度がでかいとか、思想の面で賛同できないとか。
所詮はツイッターですからね。実際に会ってみたら印象は全く違って「なんだ、良い人じゃん」って思えるのかもしれません。会ってみれば。けどツイッター上での印象が悪い人にわざわざ会ってみようとは思いませんよね(;´∀`) 他に会ってみたい人が大勢いる中、わざわざ印象の悪い人に会う必要が無い。
個人のアカウントだったら、本人が良いなら別に良いと思うんですよ。「この人とは合わないな」「この人には会いたくないな」と思われてしまうリスクを負ってでも、好きなようにツイートしたって良いと思うんです。
私だってそうです。ツイッターではあんまり過激なことは呟いていないと思いますけど(多分。自覚が無いだけかもしれないけど)ブログの方は人を選ぶ内容を綴っている自覚がある。
でも別に、人を選ぶことでなんらリスクは無いです。職を失うわけでもないし、球撞き環境が悪くなるわけでもないし、充分に球友がいますから「お友達がたくさんほしい!」ってわけでもないし、ブログをやってても何ら収入は無いですので閲覧者が減ったとこで困らないしw
Twitterも、好き勝手に呟いても良いと思います。2本目で書いたように、他人の土俵に上がって迷惑をかけさえしなければ。
ただですね。私が気にしてるのは、お店のアカウントや、オーナーや店長のアカウントによる人を選ぶツイートです。
プロ選手があまり突っ込んだ発言をしないことに関して「立場があるから、下手なことを言えない」と言っているってな話は何度かしたと思います。そりゃ、下手な発言をしたらプロ活動に支障をきたすわけですから、当たり前ですよね。
で、ビリヤードを職業にしているという点では、球屋のオーナーや店長だって同じなわけじゃないですか。でもそういう方々がなんだかやけに人を選ぶ発言をしているのが目立つんです。
個人に対してであれば「この人とは合わないな」「この人には会いたくないな」という思いを抱くところが、店・オーナー・店長相手だったら「この人とは合わないな」「この人の店には行きたくないな」になるんですよ。
人を選ぶ発言をしているという自覚が無いのか。それとも分かっていてやっているのか。
無自覚だとしたら改めるべきでしょうし、自覚があったらあったで、やはり「どうなの?」と思ってしまいます。
Twitterの話からは一旦離れまして、実際にビリヤード場に足を運んだ時。思いっきり客を選ぶような俺様経営をする店がしばしば見受けられます。
で、私は「あれで良いの?」って問題提起するわけですが、それに対して「個人店なら別にいいんじゃない?」「その人の店なんだし、その人の好きなようにやればいいんじゃない?」といった意見をちらほらいただくのです。
先日、「別にいいんじゃない?」という意見を持った人とさらに掘り下げて話をしていたら、私が抱えていた違和感が解消しました。
私が「これでいいの?」と問題提起した理由は「ビリヤードはマイナーであり、ただでさえビリヤード場は儲からない。その上に人を選ぶような経営をしていたら立ち行かなくなるのではないか」と思ったからです。
「出来る限り多くの人に評価されるような店作りをして、しっかりと店が回るようにする」という目標ありきでの問題提起なわけですね。「ニッチな需要を狙ってやっていけるような業界じゃないぞ」と。
一方で「個人店ならその人の店なんだし、好きなようにやればいいんじゃない?」という意見を持った人の視点は全く別でした。
「好きなようにやれば良い」と考える理由が「好き勝手にやって店がつぶれても、その人の自業自得である」からだったわけです。
なるほど。私と全く視点が違った。
私は「俺様経営をしていたら店が立ち行かなくなるぞ」と思っていたから、「別に良いんじゃない?」と言われたら「別にそれでも何とかやって行けるんじゃない?」という意味にとらえていたんです。だから「うーん。ホントに大丈夫なんかな」と思って違和感があった。
ところが彼らは「好き勝手にやってつぶれても自業自得」「潰れたところで自分には関係ない」と思っていたからこその「別に良いんじゃない」だったわけです。
この間Twitterでちょっと話題になってたので見かけた方もいらっしゃるかと思いますが、こんな趣旨のツイートに私は激しく同意しておりました。
・怒らない人は声を荒げないかわりに、わりと簡単に見放す
・怒る人は「言えば変わる」と期待するから口にするが、怒らない人は期待していないから言わない
・怒らない人はむしろ、「欠点をかかえたまま一生暮らせ」と思ってる
上記した「別にいいんじゃない?」の人達も、まさにこの「怒らない人」と同じなわけですよ。
以前にも、私がとある店の経営にケチをつけたら「そんなこと言ったってどうせ変わらないよ」「スルーした方が良いよ」「言うだけ労力の無駄」「潰れたら、別の店に行けばいいだけでしょw」って言われたことがありました。そして、そう言ってきた人はその店の店長からは「器が大きい、大人な人」と思われているっていう皮肉。。。w
器が大きいとかじゃなくて、完全に見放しているだけなんですけどね。
話がだいぶ横道にそれてしまった。
何が言いたかったかって、オーナーなり店長なり、店の看板を背負っている人は、ツイート内容に気を遣った方が良いのでは?ってこと。
「このツイートに賛同出来ないような人は来なくていい」だなんて言ってられるような、余裕のある業界じゃないわけですし。。。
具体的なツイートを例示すれば読者の皆様にも「確かにこんなツイートを連投しているような人の店には行きたくない」って思っていただける自信があるんですけど、さすがに特定個人を晒すのはマズイのでやめておきます。
今回書いたようなことは余計なお世話だって言われるかもしれませんが、「潰れるなら勝手につぶれろ」と見放されるよりはまだマシでしょう?(;´∀`)