鈴木さんちの球日記

撞球愚痴日記。2006年から書き続けているので、昔と今とでは持論が変わっていることが多いです。1プレイヤーの成長記として、生暖かい目で見守ってください。

好きなら頑張らない

毒吐き4本立て

 

 

1本目


知り合いにもいるので、あまり筆が進みませんが、正直な気持ちってことでお受け取りくださいまし。


私がJPAをやっていた時に、ある意味尊敬はするのだけれど、自分とは絶対に合わないなと思うタイプの他チームのキャプテンがいました。


一言で言えば戦略家です。


監督みたいなもんですね。野球やらサッカーやらの監督と同じ。


JPAの場合は選手以外の人がチームと共に行動することはできませんので、監督自身もプレイヤーです。選手兼監督。しかし、プレイヤーとしての立場を半ば放棄してまで監督業に専念するような人は、ちょっと反りが合わないな、と。。。。


でもまぁ、スポーツマンシップに反しない範囲で最善を尽くそうとする戦略家であれば、反りは合わないけれど「キャプテンの鑑だな」とは思います。


嫌なのはやはり、スポーツマンシップを捨ててまで勝ちにこだわるような人でありまして。。。

 

 

さてさて。ご存知の方は聞くまでもないことでしょうが、今回の話をするにあたって、JPAをご存知ない方のためにJPAのシステムを改めて。


プレイヤーのレベル(スキルレベル。以下SL)が1から9までの9段階に分かれております。1は女性初心者のみ。男性は未経験者であっても2からスタートです。


チームは最大8名まで登録が出来、試合当日はその中から5人を選出します。


そして、その5人のSL合計が23以内におさまるようにしなくてはいけません。


この23以内というのが厄介です。「勝てないSL9などただのお荷物」と言われてしまう原因がここにあります。9を1人出したら残りは14です。残り4人の合計を4以内にしなきゃいけない。こりゃ大変。


同じだけの勝率を出せるなら、SL9なんかよりもっと低スキルの人の方が、チームにとっては大事なのであります。


実際にはSL9だけじゃなく、SL7くらいから勝率が低いとお荷物扱いされてますね。実際、勝率が低い高SLプレイヤーが戦力外通告されて解雇されてたりしますし(;^ω^)


勝負事である以上、勝ちを目的とします。勝つためには上手くならなくてはいけません。しかし上手くなってSLが上がるとチーム事情を圧迫してしまいます。23という上限がありますゆえ、出られなくなり、最後にはチームが組めなくなります。


勝つために上手くなりたいのに、上手くなるとチームが組めなくなるという矛盾がJPAシステムの最大の欠点であり、チームを存続させるために恒常的に低スキルプレイヤーを集めなくてはいけないというところが「ねずみ講」などと揶揄される原因でありますな。

 

JPAのSL算出のシステムは公表されてはおりませんが、何イニングで何点取ったかってのが主なところだと言われております。


オープニングブレイクをした選手が撞き終わり、相手選手も撞き終わると1イニング。それを何回繰り返すか。別の言い方をすれば、何回シュートミスをしたかです。


セーフティーの時はセーフティーコールをするよう義務づけられておりますので、セーフティーコールなしに相手に撞き順を回した時は入れに行ったが外したものと、スコアボード上には記録されるわけであります。


そんなわけで、少ないイニング数でたくさん点を取れば上手いと評価されてSLが上がるわけです。おかげさまで、負けたのにSLが上がったという嘆きも多く耳にします。勝ち負けはあまり重要ではなく(全く関係ないかも?)1イニングあたりに何個入れたかってのがSL算出に関係してくるのでありましょう。

 

 


1通りJPAのシステムを説明したところで本題へ。


世間一般では「常勝チーム」と言うととにかく強いチームのことを指しますよね。プロのスポーツチームにしたって、学生や社会人の強豪チームにしたって同じ。とにかく強い選手を育て、時には外から引き抜き常勝軍団を作り上げるのであります。


ところがJPAは違います。


とにかく強いチームを作ろうとしたら全員をSL9で揃えるのが当たり前でしょうけども、そんなチームは組めません。5人の合計を23以内に抑えなくはいけないから。


常勝チームなどというものは作りようがないはずなのです。


相手が冴えない球を撞いて勝つってこともありますが、長くやってたらそんな勝ちだけではやっていられない。自ら良い球を撞いて勝つ必要があり、そうしたらSLが上がりチームが組めなくなるわけですから、常勝チームは作りようがない。


ところが、実際には存在している。「常勝」とまでは言えなずとも、常に上位にいるチームが存在している。何故か。


この話は恐らくJPA経験者なら誰もが頻繁に言ったり聞いたりしていることだと思うんですけど、先日はプロお2人も全く同じことを言っておりました。


2人とも誰しもが名前を知っているトッププロ。そしてお2人ともご自身のお店をお持ちのオーナープロでもある。そしてお店にJPAチームを持っているそうな。


そしてお2人ともが口をそろえて言っていたのが「勝てるチームは、戦略的なチーム」「うちはそういうチームは作りたくない」ということでした。


純粋にビリヤードを楽しみ、上達を目指し、その結果として勝てなかったりチームが組めなくなってしまったりしても、それは仕方のないこと。


勝つこと、チームを存続させることを優先して戦略を立て、楽しむことや上達、スポーツマンシップを二の次にするようなことを、自分の店のチームにはやってほしくないそうだ。


アメリカのチームは、そんな(JPAチームとして勝つことを念頭に置いた戦略を立てる)チームばっかりらしいですよ」と呆れた口調で話すプロ。アメリカに恨みでもあるのかなw


私もお2人のプロと全く同じ気持ちです。トッププロ2人と意見が合ったということで、安心したぞと。


ただ、それだけのことを言いたいネタでしたw

 


2本目


基本的には私はビリヤードをするにあたって「頑張っている」「努力している」という感覚は持ちません。


ビリヤードは趣味であります。仕事じゃありません。自分の好きでやってるんだから、頑張るとか努力とかいう感情は持たないのであります。


とはいえ「基本的には」であって、「頑張った」「努力した」と思うこともあります。


それはどういう時なんだろうと考えてみたのですが、恐らくしっかりとした目標や目的を持って球を撞いている時なんだと思います。


ビリヤードが好きだとはいえ、ビリヤードのなにもかもが好きなわけじゃありません。


好きなもの、嫌いなものを挙げたらキリがないですが、私の場合、非常に分かりやすい例を挙げれば、嫌いなのはセーフティーですw


嫌いなのでほっとんどセーフティーの練習はしていませんが、0というわけではなく、ごく基本的なパターンは練習しました。勝ちを目指すうえで仕方なくです。


「もっと勝率を上げたい」という目的があって、そのために仕方なくセーフティーを練習する。そういう時は「頑張っている」っていう気になります。

 

でもやはり、嫌いなことを我慢して練習しているので疲れます。


皆々様も、あまりにも「頑張っている」とか「努力している」という事が多すぎる場合、ビリヤード嫌いになっちゃいませんか?大丈夫ですか?


趣味なんですから、あまりにキツイなら接し方を変えた方が良いと思うし。


全てが「頑張り」「努力」であると感じているような人は、そもそもビリヤードが好きじゃないのでは?と思ってしまいます。

 

 

別のネタ(そっちも今回のと同じようなネタですけど)を書いていたら、またしても「『頑張る』とはなんぞや」って考え始めてしまいました。

 

以前にもこの話をした気がしますが、私の出身高校は進学校でありまして、同級生の過半数は東大生です。


当たり前ですが同級生には色んな人がいました。東大を志望する理由も「勉強が好きだから」って人もいるし、明確な将来のビジョンがあって、それを達成するには東大に入るのが最短ルートだと考えて勉強をしていた人もいるし、「将来の事なんか知らんけど、とりあえず学歴作ったろ」で東大に行く人も少なくなかったと思います。


ある意味、最後の「とりあえず学歴」で東大に行ける人が一番尊敬できますw


これといった目的意識がない。たぶん、最も「勉強なんてしたくねぇなぁ」と思いながら東大に入った派閥なんじゃないでしょうか。やりたくないことをやっている度合いでは最高値なんじゃなかろうかと。それで東大に入れるんだから、努力っぷりハンパないなと。


勉強が好きな人なんてのは、努力をしているっていう気持ちがほとんどないでしょうからねぇ。


そんでまぁビリヤードなんですけど、ビリヤードは受験と違い生涯設計に全く関係してきません。仕事でもありませんから、やる必要もない。


じゃぁなんでやるのかと言えば「好きだから」ですよね。


そんなわけでですね。ビリヤードに関して「努力した」「頑張った」っていう言葉をやたらと多用する時点で、そもそもビリヤード好きじゃないんじゃないの?って私は思ってしまうわけですね。


私、昨年出た公式戦の時は「頑張った!」って思ってました。試合前の準備も試合当日も。


何故なら「あんま乗り気じゃない」っていう気持ちがあったからですw


出てみれば楽しかったですけど、やっぱり億劫。


そんな気持ちを持ったまま「とはいえ、あまりに冴えない結果じゃ格好悪いからなぁ」と思い練習に励んだ。なので「あんまりやりたくないことを努力してやりましたよ」「頑張った」っていう気持ちがあるのです。


公式戦が終わった後もモチベーションは高く、特に試合に出る予定があるわけでもないですが高頻度で球を撞いております。


これは単純に「楽しいから」です。撞きに行きたいから行っているのです。「頑張っている」「努力している」という気持ちは微塵もございません。


ってなわけでですね。


時間に余裕があるのに球屋に行かない。行っても短時間しか撞かない。球屋に行っただけで、ちょっと長い時間撞いただけで「頑張った」とか言う人は、ビリヤード好きなの??


少々前にビリヤードを続ける意味についてネタにしましたけど、「趣味の1つは持っていなきゃいけない」とかいう強迫観念から半ば無理やりビリヤードを続けているような人もいるのかなぁ?

 

 

3本目


すんごいしょうもない話ですけど。


たとえばブログやSNSで「風邪をひいてしまいました」と発言したとしましょう。


その発言の裏には、どういう意図があるでしょうか。


何も考えず、ただ事実を述べただけ、、、、って人はいるんでしょうかね?SNS中毒の人だったらあり得るかもしれません。


ありがちだと思うのは「誰かにお見舞いしてもらいたい」「お大事にって言ってもらいたい!!」みたいな気持ちで発言をするパターンじゃないでしょうか。


私にはそのパターンは当てはまりません。「誰かに心配してもらいたい」っていう気は、私には一切ない。「お大事に」とか言われても別に何も嬉しくないのでw


私は「風邪をひいてしまいました」と発言する時には、主に言い訳及び予防線の意味合いが強いです。


「風邪ひいたんで、しばらくは頼まれごとやお誘いをいただいてもお受けできません」っていう気持ちがありますね。連絡をくれた人に一々「風邪ひいたんで無理でーす」と言わずに済むように、公の場でアピールしておくわけです。


それと言い訳。

 

ビリヤードであれば「風邪をひいてしばらく球が撞けないので、調子が悪くなっていると思います」「キツい相撞きなどには誘わないでね」などなどの言い訳ですね。


まぁ、この言い訳が効果を発揮することってほとんどなくて、むしろ逆に「弱っている今が狙い目」として賭け球をふっかけられたことは何度かあります(;'∀')


特にオチはございません。


色々思いを巡らすのが趣味な私は、人様の投稿を見た時に「この発言の意図は?」「なぜこの人はこんなことを言ったんだ?」と裏を読んでしまうことが多い、って言いたいだけでした。

 

自分自身は、深い意図なくひたすらにボヤき続けるブログを書いているくせにね。

 

 

4本目


不勉強でつい最近知ったのですが、かのリンカーンが「40にもなれば己の顔に責任がある(責任を持て)」とかなんとか言ったそうですね。推薦を受けた人物を、「顔が悪い」という理由で登用を断ったのだとか。


リンカーンのこの発言を引き合いに出しながら、他人の顔にダメ出ししまくっているオッサンがいたことが今回のネタを書こうと思ったキッカケ。当の本人が一番顔が駄目ってんだから、つくづく「自覚」というものについて考えさせられる)

 

これ、昔I氏を引き合いにネタにしたことがあったと思います。


その昔、私がI氏に「顔がおかしい」と言ったら怒られました。顔は産まれつきなのだからどうしようもないと。


ごめんごめん。言い方が悪かった。顔形のことではなく表情がおかしいと言いたかったのです。


顔形ばかりはI氏の言う通り生まれつきですから、整形でもしない限りはどうしようもありません。


ただ、表情は変えられる。表情にはその人の性格、その人の人生が現れる。


リンカーンが言っていたのも、ほぼ同じことだったようです。


表情もそうですが、私が日頃気にすることが多いのは喋り口です。


声質はある程度生まれつきで決まってしまいますが、喋り方は変えられますよね。表情と一緒で、育ちや性格が出る。


どうも耳障りな喋り方をする人ってのはいて、球を撞いている最中にその人の声が耳に入ってきて集中力を削がれるってことがしばしばある。

 

いま真っ先に頭に浮かんできた人は

 


・話し方が耳障り

・物凄くお喋り

・教え魔

 


という3点セットなので、本当に無理、、、、