鈴木さんちの球日記

撞球愚痴日記。2006年から書き続けているので、昔と今とでは持論が変わっていることが多いです。1プレイヤーの成長記として、生暖かい目で見守ってください。

程度

3本立て

 

 

1本目

 

一切全く自慢話をしない人なんてのはそうそういないと思います。ちょっとした自慢であれば素直に「凄いねー」って思えるわけです。程度が増していくと「自慢話ばっかりの面倒くさいやつ」という扱いになってしまいますよね。


人の振りを見ていて「あれをやったら格好悪いなー」と感じるのが、畑違いの自慢話です。


ビリヤードプレイヤーがビリヤードプレイヤー相手に「今日、〇連マス出たー!」とか「プロに勝った!」「試合で優勝出来た!!」っていう自慢をしているなら、自慢したくなる気持ちは分かるじゃないですか。


けど、ビリヤードプレイヤーがビリヤードプレイヤー相手に仕事の自慢話、他の趣味の自慢話、学歴自慢、家柄自慢などしてきたら「関係ないでしょ?」としか思えません。


これも程度の問題であって、たまーーにだったら何ら気にならないと思います。しかし毎日のようにビリヤードとは関係のない自慢話を聞かされようものなら「あー。この人はビリヤードでは自慢できるようなことが無いしねぇ」「仕事であったり他の趣味であったりで話を聞いてくれる人がいないんだろうなぁ」「きっと、そっちの畑では自慢が出来るようなことじゃないんだろうなぁ」なんて思うことになります。


ゆーたら、初級者がビリヤードプレイヤー相手にはビリヤード自慢が出来ないからって、一般の人を捕まえて「俺ビリヤード上手いんだぜー」って言ってるようなもんです。


その分野では下っ端過ぎて自慢話が出来ないから、他所で自慢話をする。格好悪いですよねぇ。

 

ビリヤードやってても、ビリヤード以外のことでマウンティングを仕掛けられることがしばしばあります。


最良は謙虚でいること。自慢をするなら、せめてビリヤードの腕前で。


それ以外は残念な人としか思えませぬ。

 


2本目


この間、新しい口座を作ろうと思って銀行に行ってまいりました。相手をしてくれたのは私より10歳くらい下なんじゃないかと思われし若い女性。


愛想は良いし、明朗な喋り口だし、良い働きっぷりだったんですが、1つだけ難点がありましてね。専門用語を使いすぎだったのです。


こちとら素人です。あんなにバンバンに専門用語を使われると戸惑います。


一度、チェックのために上司が出てきたことがありまして、そっちの人は本当にそれはもう素人の私にも分かりやすくかみ砕いた説明をしてくれました。あぁ、やっぱキャリアが違うなと思った瞬間です。


ビリヤードでもありますでしょう。初級者や一般の人相手にビリヤードの専門用語をバンバンに使った説明をして、聞き手はポカーーンとしてる、みたいな。


銀行員だったら、そのうち上司から指摘されるなどして直っていくと思いますが、ビリヤードの場合は学ぶ機会が無いですからねぇ。


私の身近にも、私が初級者だった頃からずーっと教え好きで今も教え好きなオッサンがいますけど、全く教え方が上達していないです。一般のお客さんにまで専門用語使いまくり。


指摘してあげた方が良いのかなぁ。なーんか、面倒くさい未来しか見えなくて遠ざけてしまっておる。

 

 

3本目

 

ブログを書いていますと、しょっちゅう「程度の問題なんだよなぁ」「自分だってパーフェクトじゃないんだしなぁ」って思うことがあります。


100点満点で、自分自身が20点とか30点しか無いような時には他人にとやかく口を出そうと思うことはありません。たとえ10点という自分より下の人がいたとしてもドングリの背比べですからねぇ。0点がいたら愚痴ってしまうかもしれませんが、、、


けど、自分自身が70点なり80点なりの能力があると思っている部分に関して、10点20点しかない上に改善しようという意欲が無い人を見かけるとツッコミたくなるわけであります。


で、いざツッコミを入れてみると「お前もだろ」「人のことを言えるのか」と言い返されてしまうことがあるわけですね。


うーん。確かに自分だって90点100点ではない。至らない点はある。


けど、100点じゃなきゃなんも言えないとなったら、親も子を教育出来ません。上司も部下に何も言えなくなります。先生だって生徒に何も教えられません。パーフェクトな人なんていませんもの。


相対的に上の立場の人が下の立場の人を教育する。世の中そんなもんだろうと思うのです。


とはいえやっぱり、30点の人が20点の人に物申して良いのかとなると「それは違うなぁ」って気もしますでしょう。


どれくらいからなんでしょうかねぇ。程度の問題って、なんとも言えん。


それを気にしていては何もブログに書けなくなってしまうので、僭越ながら揚げ足取りをさせていただいているわけですが、とはいえ心苦しさはあるし、「お前もだろ」と言われてしまうことはある。

 

このネタを書こうと思ったキッカケはと言えば。ツイッターで他の方々の投稿を見ている時に「なんちゅう分かりづらい文章だ。。。」って思うことが多々あるのです。それがキッカケ。


私は長年書く側に立っていて、自分が書いた内容を読者に曲解をされてしまうことも多かった。そのため「確かに私の文章は分かりづらいから、曲解されてしまっても仕方がない」と思いつつも「とはいえ、さすがにそれは読解力が無さ過ぎじゃないか?」と思うことがしばしばありました。


近年は読む側に立つことも多くなったわけですが、「私も『文章を書くのが得意』とは言えないが、さすがにこの人ほど酷くはないと思いたい」「文章表現が下手という以前の問題で、そもそも日本語としての体をなしていないぞ、これ。。。」っていう投稿をほぼ毎日見かけます。


「読みづらい」どころの騒ぎではなく、どんだけ冷静になってジックリ時間をかけて読んでみても、何が言いたいのか分からないっていう。ちょっと具体例を挙げてみたいところなんですが、さすがにそれはマズイだろうな。。。


あぁいう人達に自覚はあるんでしょうか。そして改善される日は来るのだろうか?

 

話の趣旨は少し変わって「お前もだろ」という感情についてです。


私も「お前もだろ」と思うことは多々ありますが、「こいつに言われたくはないが、ただ確かに仰る通り、自分も悪かったなぁ」という反省をすることが多いです。


やはり自分の欠点を指摘されるというのは気持ちがいいものではないですし、「あの人になら指摘されても良いけど、あいつからは嫌だ」っていう人の好みもあります。「あいつからは嫌だ」の人に言われたら、そりゃもうフラストレーションです。「お前もだろ」「お前には言われたくない」という感情は出てきてしまいます。


ただ、指摘されたことは事実であることが多い(たまに、指摘の内容自体がドソッポな場合もありますけどね、、、)


なので「こいつには言われたくなかった」と愚痴を言いながらも、指摘された内容はしっかり反省せねばなりますまい。

 


ビリヤードでも他の場でもどこでも見かけられる例ですが、話のすり替えを無意識にする人っていますよね。


ゆーたら「あなたは、こういう所が欠点ですね」と言われて「お前もだろ」って返す時点で、既に話がすり替えられています。


欠点であることが事実ならば、指摘をしてきた相手がどんな人物であるかは関係ない。欠点なのは事実。素直に聞き入れるべきであり「お前もだろ」というのは話をすり替えてしまっております。


ってのは所詮は理屈であって、上記した通り、感情では中々理解出来ません。愚痴は出ちゃう。


とはいえやはり「こいつに言われるのは悔しいけど、欠点なのは事実だ!反省せねば!!」と考えるのが大人であって、「なんでこんな奴に言われなきゃならないんだ」という思いばかりが湧いて、自身の欠点を欠点と認めず反省しないようなのは大人とは言えないでしょう。


この辺は私の長所(?)でありまして、昔から申しております通り、人から何かを指摘された時には、散々に愚痴を言い反発もするのだけれど、なんだかんだでしっかり反省をするっていう(笑)


愚痴や反発をしなければベストなんですけど、「反発しっぱなしで反省しない」とか「『仰る通りです』などと殊勝な態度を取るくせに反省しない」とかいう人よりも、反省をするという結果を出しているだけマシですよね?とポジティブにw

 

私の身近にいる、最も話のすり替えが酷い人なんてのは、それはもう本当に酷い。


ビリヤード関係者ではないのでビリヤードにおける例は無いのですが、ビリヤードでたとえるなら「今のショットは、こっちを選択すべきだった」と指摘すると「お前、昨日ゴミを捨てなかっただろう!」と返される、みたいな。話のすり替えの程度が酷すぎて笑える。


自尊心を保つためには、いかなる屁理屈をも用いる。一切の指摘は受け付けない。そして、そういう行動をとっている自覚が無い。無意識。


笑える。


そういう人が身近にいて、頻繁に顔を合わせなきゃいけないのがストレス、、、っていう愚痴を、そのうちブログに載せてしまうかもしれない(;´∀`)