鈴木さんちの球日記

撞球愚痴日記。基本的に常連読者さん向けの前提ありきのネタを書いているので、ご新規さん、一見さん向けではありません。技術論は間違いだらけなので信用しませんよう。コロナ禍で撞きに行けていないためネタが枯渇し、球ブログのくせに球ネタがほとんどないです。お許しを。。。

やる必要がないこと

 

1本目

 

甲「私はあなたを殴りたいです。殴ればスッキリします。殴れないとストレスが溜まります」

 

乙「私は殴られたくないです。殴られたらストレスが溜まります」

 



こういう二者だったら、どう考えても乙の方が優先ですよね。優先というか、甲の趣向は駄目。自由を与えられない趣向であります。



♂「私はあなたに抱きつきたいです。でないとストレスが溜まります」

 

♀「私は抱きつかれたくないです。抱きつかれたら猛烈なストレスです」

 

これも自明ですわな。



丙「私はあなたにアドバイスをしたいです。できないとストレスが溜まります」

 

丁「私はアドバイスされたくないです。されたらストレスが溜まります」

 

 

丁の趣向が優先でしょうけども、これくらいになってくると若干丙派閥も増えてくるんじゃないでしょうか。



オジ「私は若い子とお喋りがしたいです」

 

若者「私はおじさんとお喋りなんてしたくないです。苦痛です」

 

 

こうなってくると、オジ派閥がかなり増えるんじゃないでしょうか。若者の方に対して「少しは話を聞いてやれ」「目上を敬え」「その程度を嫌がるなんて器が小さい」などと言い出す人も出てくるんじゃないでしょうか。



戊「私はハードブレイクがしたいです。禁止されたら苦痛です」

 

己「私はハードブレイクが嫌いです。見ているだけでストレスが溜まります」

 

 

こうなってくると「前者の自由だ」ってなってきますよね。



庚「私はゲームボールを入れたいです。外したらストレスです」

 

辛「私はゲームボールを入れられたくないです。入れられたらストレスです。だから外してください」

 

 

後者の気持ちはよく分かりますけど、そんな趣向まかり通りませんよねww



いくつか例を出してみましたが、相反する趣向のどちらが優先されるべきか、どんな趣向は我慢すべきかなんてのはケースバイケースとしか言いようがないし、またその判断も人によりけりの価値観次第だよなぁ、とかなんとか、あとに続くネタを書きながら考えていたってだけの話です。

 

もしも一般論としての正解を出さなきゃいけない時には、多数決を取って多数派に合わせるべきなんでしょうか?




2本目



発言の義務がない限りは、何も言わないほうが良いっていう話を昨日しました。

 

世の中、結構ありがちなのが

 

甲「○○と言うべき!」

 

乙「いや、○○は不快だ。☓☓と言うべき!」

 

丙「(そもそも何も言わなきゃ良いでしょ。。。)」

 

 

みたいな構図じゃないでしょうかw

 

言う必要がないのにただただ「言いたい」から何かを言おうとしちゃう。その自覚すらなくあたかも「自分には発言の義務がある」と思いこんでいるかのような人もいる。指摘をされても「何を言うのも自由だ!」「権利がある!」と開き直る。

 

Twitterクソリプを飛ばしがちな人はだいたいこれですね。クソリプについては「これ、ツイートへの返信じゃなくて、ただただ自分が言いたいことを言ってるだけでしょ」みたいな話がよく出ます(;´∀`)



たとえばですけど、習っている師匠がいたりプロのレッスンを受けたりして見ず知らずのプレイヤーからのアドバイスなんて全く求めていないような初級者に対して中級者がアドバイスをしようとし、アドバイスの仕方について論戦を交わしている、みたいなことがある。

 

「俺はこうアドバイスをする」「それはおかしい。こういうアドバイスをすべきだ!」と言い争っているのだけれど「そもそも、何も言わなきゃいいんですよ?」が正解っていう。

 

ありがちですよね。

 

「何もしない」「何も言わない」が正解なのに、そういう選択肢を持たない人達っていますでしょう。彼らがなぜその選択肢を持たないかといえば「言いたいから」「やりたいから」という気持ちが強いからです。

 

他人事みたいに書いてますけど、私もやらかしがちです(ブログは例外とさせてください。ブログでは言う必要がないことを言いまくってますけど、ちょっとそれは例外として、、、ブログ以外の場での話です)

 

何もしなけりゃ良いのに、なんかしちゃう。したいから。

 

しかも本音は「したいから」でしかないのに、することに意義があるかのような建前を口にしてしまう。ありがちありがち・・・

 

いくらそうするのが好きだからといって、他人に迷惑をかけるようであればその趣向は引っ込めなくてはいけない。

 

だけれども1本目で書いたとおり、時には「迷惑だと思うほうがおかしい」ということもある。

 

私自身の行動指針としては、たとえどちらに正義があろうとも「相手が嫌がっているならやらないよう心がける」なんですけども、第三者としてどちらが悪いのかを判断する場合は線引が難しい。